[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m70!1m12!1m3!1d25944.662565666385!2d139.2354061199463!3d35.625684716879526!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!4m55!3e2!4m5!1s0x60191958a365e191%3A0x630add1376545413!2z6auY5bC-5bGx5Y-j!3m2!1d35.6324936!2d139.26992199999998!4m5!1s0x601919504c59b7e1%3A0xd08e1425c1f8fd54!2sTAKAO+599+MUSEUM!3m2!1d35.630414699999996!2d139.26875479999998!4m5!1s0x6019195f66d4f291%3A0x34e4de625c6e088d!2z44Og44K144K144OT44Gu6YqF5YOP!3m2!1d35.6313153!2d139.2674961!4m5!1s0x6019195fe88e8a0f%3A0x94dec65e6be1a7da!2z6auY5bC-5bGx5LiD56aP56We44O75rSX5b-D5Zyw6JS15bCK!3m2!1d35.6307976!2d139.26455679999998!4m5!1s0x601919604efec44b%3A0x1a60797a029393c5!2z6auY5bC-5bGx55m75bGx6YGTIOOBs-OCj-a7neOCs-ODvOOCuQ!3m2!1d35.630256599999996!2d139.2617924!4m5!1s0x601919618a205555%3A0x4ac6ed4edefac5e9!2z55C155C25rud5rC06KGM6YGT5aC0!3m2!1d35.6289327!2d139.2588892!4m5!1s0x6019197f5ea3876f%3A0xc7070b841ef62fdf!2z6auY5bC-5bGx!3m2!1d35.6251209!2d139.2436593!4m5!1s0x6019197da8b34913%3A0xd9c36bddf68199ef!2z6auY5bC-5bGx6Jas546L6Zmi5bGx6ZaA!3m2!1d35.626011999999996!2d139.2508844!4m5!1s0x6019195f7bc2e5bf%3A0x1f655e35b95f30f!2z6auY5bC-55m75bGx44Kx44O844OW44Or44Kr44O844CB44CSMTkzLTA4NDQg5p2x5Lqs6YO95YWr546L5a2Q5biC6auY5bC-55S677yS77yS77yQ77yV!3m2!1d35.6310886!2d139.26676469999998!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1528080532041&w=2000&h=1000]
5月のハイキングガイドツアー
「渓流の道を歩こう」
高尾山麓 氷川神社
氷川神社は、応永年間(1394~1427年)に片倉城主大江備中守師親が、武蔵一ノ宮氷川神社の祭神を勧請したのが始まりとされている。古くは下椚田村大牧(椚田町)にあったと伝えられ、寛文2年(1662年)に再建造営され高尾の鎮守となる。祭神である素盞鳴尊は、生贄にされそうになった奇稲田姫命を、櫛に変えて髪に挿し、ヤマタノオロチを退治、後にお妃に迎えた。縁結び、五穀豊穣、開運、登山安全、厄除けのご神徳があると伝えられている。例祭に奉納する獅子舞の神事は、1872年(明治5年)狭間の氏子が奉仕したが、現在は原の氏子が奉仕している(昭和35年指定市無形民俗文化財)。
ソース: 氷川神社 (八王子市) – https://ja.wikipedia.org
氷川神社大鳥居再建について
氷川神社大鳥居は昭和41年京王電鉄(株)が高尾山麓に乗入れる際、既設両部鳥居を移転、土地の取得等の謝意として、案内川の氷川橋脇に鉄筋コンクリート製大鳥居を建造奉納されました。
しかし、建設されて40年余外的要因により構造物の強度劣化が著しく、崩落の危険性が危惧されたため、「安全確保を第一優先」に平成13年7月氏子の皆様に惜しまれ乍ら撤去されました。
本年1月総代新年顔合会の折り、新鳥居建造を提案し賛同を戴きました。
これに伴い八王子市関係行政機関との協議も好意的に御賛同を戴き再建を決意致し(株)アシザワに発注し本年8月竣工に至りました。
材質は耐久性があり半永久的な強化プラスチック製工法にて建立致しました。
再建にあたり予算が1005百万円程度見込まれ、広く関係町会・氏子の皆様のご協力を仰ぐ事がより意義あるものと考え、十二町会長並びに氏子の皆様にご協力を切にお願い申上げました結果、協賛者9百余名、総額6百万円余の尊い後協賛を戴きました。
氷川神社として、これを永久に残し後世に伝えることが協賛者各位に報いる事と考え別掲協賛御芳名者板を建立する事と致しました。
ここに氷川神社及び氏子一同のご繁栄とご発展を祈願致します。
平成十七年十月一日
出典:氷川神社
氷川神社大鳥居再建について
氷川神社大鳥居は昭和41年京王電鉄(株)が高尾山麓に乗入れる際、既設両部鳥居を移転、土地の取得等の謝意として、案内川の氷川橋脇に鉄筋コンクリート製大鳥居を建造奉納されました。
しかし、建設されて40年余外的要因により構造物の強度劣化が著しく、崩落の危険性が危惧されたため、「安全確保を第一優先」に平成13年7月氏子の皆様に惜しまれ乍ら撤去されました。
本年1月総代新年顔合会の折り、新鳥居建造を提案し賛同を戴きました。
これに伴い八王子市関係行政機関との協議も好意的に御賛同を戴き再建を決意致し(株)アシザワに発注し本年8月竣工に至りました。
材質は耐久性があり半永久的な強化プラスチック製工法にて建立致しました。
再建にあたり予算が1005百万円程度見込まれ、広く関係町会・氏子の皆様のご協力を仰ぐ事がより意義あるものと考え、十二町会長並びに氏子の皆様にご協力を切にお願い申上げました結果、協賛者9百余名、総額6百万円余の尊い後協賛を戴きました。
氷川神社として、これを永久に残し後世に伝えることが協賛者各位に報いる事と考え別掲協賛御芳名者板を建立する事と致しました。
ここに氷川神社及び氏子一同のご繁栄とご発展を祈願致します。
平成十七年十月一日
出典:氷川神社
氷川神社の由来
鎮座地 東京都八王子市高尾町2258
御祭神 素戔嗚尊
由 緒 応永年間(1394~1427)に片倉城主毛利備中守師親が武蔵一ノ宮の氷川神社を勧請し、寛文2年(1662)7月に再建造営され高尾の総鎮守となりました。
現社殿は昭和27年8月20日に新築されました。
その後、昭和40年の台風により御神木がことごく
倒れました。
明治5年から例祭に奉納されている獅子舞の神事は昭和35年に市の無形文化財に指定されました。
御祭神である素戔嗚尊は、生贄にされそうだった奇稲田姫命を櫛に変えて髪に挿し八岐大蛇を退治、後にお妃にお迎えになったそうです。
縁結び・五穀豊穣のご新徳ありと伝えられています。
例祭日 毎年8月第3土曜日・日曜日
高尾山氷川神社手水舎新築に伴う
寄進奉納のお願い
謹啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
平素は氷川神社の運営につきまして格別のご高配を賜り氷川神社御祭神の御神徳の高揚にご尽力を戴いておりますこと、誠にありがとうございます。
古い歴史と伝統を持った氷川神社は、旧浅川町はもとより氏子の皆様の手厚い信仰により支えられ今日に至っております。
高尾山は明治の森高尾国定公園や都立高尾陣馬自然公園に指定され年間3百万人が訪れる八王子市にとって重要な観光資源の一つです。
近年ミシュラングリーンガイドの三ツ星観光地に選定され高尾山の玄関口である高尾山口駅周辺地区では圏央道高尾インターチェンジの開通、観光案内機能をもった駅舎への改修、更には高尾599ミュージアムや温浴施設等、様々な事業展開が行われ観光地としての魅力や利便性の向上が一層期待されています。
これに伴い氷川神社の参拝者も増加の傾向にあり皆様により良い参拝をしていただくため、この度、手水舎を新築する運びとなりました。
工事は平成29年9月に着工し、12月に完成する予定です。
新しき年を手水舎の新築で一層の花を添えることができますことは私共一同慶びにたえません。
このことは、この事業への参画と併せて神社の発展のため氏子並びにご参詣の皆様に心からなる寄進奉納をお願い申し上げたいと存じます。
敬具
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TAKAO 599 MUSEUM
TAKAO 599 MUSEUMは、八王子市の南部、高尾山東側の麓の旧・東京都高尾自然科学博物館跡地に位置し、「観光」・「学習」・「交流」の3つの機能を併せ持ち、高尾山に生息する動植物の展示や映像などを行う入館無料の自然史博物館である。施設名は高尾山の標高・599mに因んで名付けられた。
東京近郊の低山地である高尾山は古くから信仰の場であり、今日まで自然のままの状態で保たれてきたことから豊かな生態系を持ち、山内で見られる植物はイギリス全土に自生する植物の種類の数に匹敵する約1600種に及ぶほか、箕面山(大阪府箕面市)や貴船山(京都府京都市)と並んで数1000種の昆虫が生息する三大昆虫生息地としても知られ、昆虫愛好家の聖地ともいわれている。
同館は、羽ばたいている昆虫の一瞬の姿をとらえた昆虫標本など様々な自然物を収集して研究し、その研究成果を展示して来館者に伝えている。展示植物はアクリルに納められた樹脂標本で、植物は美術品のように扱われ展示されている。また、四季の移り変わりを描いた映像が、ムササビやイノシシなどの剥製を配した壁面に映し出される。
ソース: TAKAO 599 MUSEUM – https://ja.wikipedia.org
自然研究路6号路
沢に響く歌声
聞いてみよう 探してみよう
自然研究路6号路では、ミソサザイをはじめとする
野鳥のさえずりがよく聞かれます。
オオルリ(夏鳥) ♪チーリーロージジッ 見晴らしの良い樹上などでさえずります。 夏鳥として春から夏にかけて日本で過ごし、秋には冬こしのために南の方へ渡ります。 | ミソサザイ(留鳥) ♪チョツィツィツィツーペチルルル 谷川沿いの暗い林を好みます。 小さな体ですが、大きな美しい声で歌います。 | キセキレイ(留鳥) ♪チチッチチッチチン 水辺、特に渓流を好みます。 |
出典:高尾ビジターセンター
シダを見つけよう
クジャクにゲジゲジ、イノシシ・・・
シダには、いろいろな動物の名前がつけられています。
あなたならどんな名前をつけますか?
出典:高尾ビジターセンター
シャガの効用
シャガは、中国産の植物でもともと日本にはありませんが、高尾山ではたくさん見られます。
丈夫な根をのばして数を増やすので、高尾山では土がくずれるのを防いでくれています。
シャガは、5月頃、薄紫色の花が咲かせます。
出典:高尾ビジターセンター
⇙琵琶滝・1号路
琵琶滝
むかし、偉いお坊さんが、高尾山を歩いていると、どこからか琵琶の音が聞こえてきました。
しかし、その琵琶の音が、どの方角から聞こえてくるかわかりません。
そのとき、一頭の鹿が現れ「どうぞこちらに・・・」と言うように先に立って道案内をしました。
お坊さんが鹿の後についていくと、白髪の老人が大岩に座って
琵琶を弾いていました。
その美しい調べに深く心を動かされたお坊さんは、白髪の老人に「悟りの道をお教えください」とお願いしました。
すると老人の姿は大岩に吸い込まれるように消え、そこにまるで白髪のような清らかな滝があらわれました。
その滝の音は、琵琶の調べのように美しく、お坊さんは、この滝を悟りを開くための修行の場としました。
これが琵琶滝です。
出典:高尾ビジターセンター
高尾山で一番でっかい葉っぱ
とても大きなホオノキの葉は、昔から食べ物をのせたり包んだりと人々の生活に利用されてきました。
また、木もその柔らかくてキメのこまかい材質から、家具や下駄、版画の板として利用されています。
出典:高尾ビジターセンター
アジサイの花の上で
沢すじを彩るアジサイの花たち。
高尾山では、6月から9がつにかけてヤマアジサイ、タマアジサイが順に花を咲かせます。
そこでは、“食う” “食われる”のドラマもくりひろげられています。
出典:高尾ビジターセンター
粘 板 岩
昔むかし、高尾山は海の底でした。
砂や泥のたまった海底が大きく盛り上がって現在の高尾山となったのです。
粘板岩とは自然の力で砂や泥が固められてできたものです。
黒色粘板岩は、とてもかたく磨くと表面がツルツルになるので、硯石ともよばれ、硯や碁石に利用されます。
出典:高尾ビジターセンター
見あげてごらん
キョロキョロしていると、いろいろな発見があるものです。
のぞき込んだり、振り返ってみたり・・・。見あげてみるのもいいかもね。
ほら、あそこにセッコクがあるよ。
出典:高尾ビジターセンター
水辺にあつまる生きもの
水辺には、水中で暮らす生きものの他にも、さまざまな生きものたちが集まります。
水を飲みに、水浴びに、そしてそれらの生きものを狙って・・・。
出典:高尾ビジターセンター
タ ネ の 旅
木や岩にはいのぼり、小さなかざぐるまのような花を咲かせるのがテイカカズラです。
秋になるとほそ長いさやの中からわた毛をつけたタネが風にのって飛んでいきます。
❔ 1組のさやには、いくつぐらいのタネが入っているでしょうか。
答えは、山頂のビジターセンターへ
出典:高尾ビジターセンター
山頂周辺のコース案内
稲荷山コース案内図
キツツキの食事
キツツキは、枯れた木にもくっているキクイムシやカミキリムシなどの幼虫を食べてます。
するどいつめのついた足指は前後2本ずつに分かれ、しっかり木をつかまえます。
かたい尾も、体をささえるのに大変役立ちます。
❔ どうやって木の中の虫をとるのでしょう。
答えは、山頂のビジターセンターへ
出典:高尾ビジターセンター
高尾山のカラス
ガーガーとにごった声は山のカラスハシボソガラス。
カーカーと明るい声が都会で見られるハシブトガラスです。
高尾山では昭和30年代からハシブトガラスがふえ始め、山頂のゴミ箱をあさる姿がよく見られました。
❔ 最近、山頂のハシブトガラスがへっているのは、なざでしょう。
答えは、山頂のビジターセンターへ
出典:高尾ビジターセンタ
高尾山3号路 かつら
ここにある、かつら林は大正14年に植林したものです。かつらは本州から九州まで広く生育している落葉大高木で、高さ30m、地上15mのところの直径が13mに達するものもあります。
新芽は、紅色となり、とくに雄の木は大変美しくなります。
庭園樹として樹形や黄葉も観察されます。この木は用途が広く、建築材(装飾材)器具材、家具材、楽器材、彫刻材、ベニヤ材や、えんぴつ材などに使用されます。
3号路 高尾山の植物
山頂から高尾山の南傾面を横切り、1号路の浄心門に下る静かなコースです。
ほぼ等高線に沿ってつくられた山道は起伏が少なく、歩きやすい。
常緑広葉樹に針葉樹のモミが混じり、つる植物も見られ、また山頂付近では、アカマツ林がモミ林に移り行く森林の遷移のようすが観察できます。
出典:高尾自然公園管理センター
変わりゆく森
森は、木々の生長とともに姿をかえます。
今、このあたりでは、モミの子どもがたくさん見られます。
このモミが大きく成長するころ、3号路の森はどのように変わっているのでしょうか。
出典:東京都 高尾ビジターセンター
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