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第15回 井の頭自然ウォーク
“自然とのふれあいを楽しみに”
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井の頭恩賜公園
地理
井の頭恩賜公園(以下、「井の頭公園」という)は、武蔵野市の南東から三鷹市の北東にかけて広がる公園である。総面積は約43万m2である。
井の頭公園はその中心に井の頭池(約43,000m2)を擁している。井の頭池は北西-南東方向に延びる細長い形の池であり、北西端は二つに分かれ、南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出している。神田川の流れの一部も井の頭公園に含まれている。また、井の頭池の西側には御殿山の雑木林があり、吉祥寺通りを挟んで東京都建設局井の頭自然文化園が位置している。雑木林の南側には玉川上水が東南方向に流れ、そのさらに南には「西園」が位置している。この西園には、400mトラックと三鷹の森ジブリ美術館がある。玉川上水の下流側の脇には小さな広場のある「東園」がある。
行政区分から見ると、井の頭池と神田川、西園、東園が三鷹市に属し、井の頭自然文化園と御殿山の雑木林が武蔵野市に属している。
井の頭池から北500m弱にはJR中央線吉祥寺駅が位置している。この吉祥寺駅には井の頭公園に向かう公園口(南口)が設けられており、吉祥寺駅から井の頭池にかけて、若者向けの商店が並んでいる。南東の神田川沿いには、京王井の頭線の井の頭公園駅がある。井の頭公園駅から井の頭池までは至近であり、その間では小さな広場や小道を散策することができる。
四季と自然
井の頭公園にとっての春は、井の頭池を縁取る桜(ソメイヨシノ)の季節である。池の中央を渡る七井橋から眺めると、岸からせり出す枝々の桜は、池に向かって水面を覆わんとするほどに折り重なって咲き、その花の淡い色が水面や空とコントラストをなす。一斉に咲き、一斉に散っていくソメイヨシノの華やかさとはかなさが、水に映ってさらに引き立つ。桜の開花時期(3月末から4月初め)には特に多くの来園者が訪れる。池の西側の梅園では、桜の開花前にも多くの花が見られる。梅園の北側に向かった池沿いには湧水口があるものの、現在は水量が乏しい。
夏の井の頭公園では、御殿山を覆う雑木林の緑の色と、その木立の中の清々しい空気とが楽しめる。
秋になると井の頭公園は多種多様な木々の紅葉によって彩られ、散策道をも埋めるほどに落ち葉が折り重なる。井の頭公園には、スギやヒノキなどの常緑樹だけではなく、ケヤキ、シデ、シイ、カシ、コナラ、クヌギなどの落葉樹もたくさん植わっている。
湧水がしみ出していたエリアに流入していた土砂を除去し、湿地・湿原を好むハンノキ林を再生する試みが行われている。
井の頭公園の冬はにぎやかである。渡り鳥が多く飛来し、井の頭池にて越冬する。
9月半ばから3月にかけて、井の頭池にはオナガガモ、キンクロハジロ、ハシビロガモなど、何種類もの渡りのカモが集まってくる。この時期以外に見かけるのは、定住しているカルガモである。
井の頭池には、カモ以外にもゴイサギ、カイツブリ、カワセミなど、色々な種類の鳥がいる。
園内では、野生の蛇を見かけることもある。
ソース: 井の頭恩賜公園 – https://ja.wikipedia.org
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井の頭恩賜公園 Inokashira Park
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井の頭恩賜公園 Inokashira Park
井の頭恩賜公園由来の碑
井の頭恩賜公園は、三鷹市の北東に位置し、我が国最初の郊外公園として大正六年に開園した。
「井の頭」の称はさらにずっと古く。
三代将軍徳川家光がその名付け親と伝えられている。
東西に広がる台地から神田上水が流れ出し、江戸開府の昔より明治半ばに至るまで人々のくらしをうるおし続けたのである。
美しい自然をはぐくみ、ふるさと三鷹の文化を育てた井の頭の水は、現在お茶の水の井筒によってわずかにその面影を偲ぶのみだが、かってはその湧出口から清冽さと豊かさを誇ってあふれていた。
「七井池」別名が生じ、池にかけられた橋を「七井橋」というのもこれによる。
桜・新緑・紅葉・雪と四季おりおりの風情を楽しむことができる公園は、それぞれの時代、それぞれの人の心の中にしっかりと根を下ろし、今日も青空と雑木林を映している。
平成5年9月 三鷹市
黒門(鳥居)
弁財天への参道入口にある高さ2.4メートルの道しるべの標石。標石のとなりには黒門と呼ばれる鳥居に似た黒塗りの木の門があります。現在のものは、大正13年に再建されたもの。江戸から大正時代、この参道は大いに賑わっていたといわれています。
出典:みたかナビ
三鷹市指定文化財
三 木 露 風 墓
種 別 史跡
指定年月日 昭和55(1980)年㋄㏳
所 在 地 三鷹市牟礼5-14
本名、操。播州瀧野藩(現・兵庫県龍野市)の旧士族として生まれる。年少のころより詩文に優れ、処女詩歌集「夏姫」を自費出版した明治38(1905)年16歳で上京する。明治42(1909)年「発園」によって詩壇の地位を得る。北原白秋の「邪宗門」と並び称され、“白露時代”と呼ばれる一時期を画した。
童謡「赤とんぼ」は、大正期童謡運動のさなか大正10(1921)年頃、北海道函館で作詞され、昭和2(1927)年山田耕作によって曲がつけられた。
昭和3(1928)年より三鷹市牟礼に移り住み、詩作と井の頭公園への散策にふけった。昭和39(1992)年12月29日下連雀で交通事故により死去。
平成4(1992)年7月31日
出典:三鷹市教育委員会
三木露風 赤とんぼ公園
三木 露風(1889年(明治22年)6月23日 – 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。国木田独歩の曾祖母が三木家出身。その縁もあり明治45年『独歩詩集』を刊行した。
近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並んで「白露時代」を築いた。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。
坂本正仁、ほか『多摩のお寺めぐり』雄山閣出版、1993年、80-81頁。ISBN 4639011806。NCID BN10373225。
略歴
1889年(明治22年)6月23日、兵庫県揖西郡龍野町(現・たつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた。5歳の時に両親が離婚し、祖父の元に引き取られて育てられた。
早熟の天才であり、小中学生時代から詩や俳句・短歌を新聞や雑誌に寄稿していた。1905年(明治38年)に17歳で処女詩集『夏姫』を、1909年(明治42年)には20歳で代表作『廃園』を出版し、北原白秋とともに注目された。
龍野中学校(現・兵庫県立龍野高等学校)で一年学んだ後、中退して上京。早稲田大学および慶應義塾大学で学んだ。
1918年(大正7年)頃から、鈴木三重吉の赤い鳥運動に参加し、童謡の作詞を手掛ける。1921年(大正10年)には童謡集『真珠島』を出版した。本書に収録された童謡「赤とんぼ」は、山田耕筰によって作曲され、現代でも広く知られている。
1916年(大正5年)から1924年(大正13年)まで、北海道上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院で文学講師を務めた。その間の1922年(大正11年)、ここでカトリックの洗礼を受けクリスチャンになる。
キリスト教の信仰に基づく詩集のほか、『日本カトリック教史』や随筆『修道院生活』などを著し、バチカンからキリスト教聖騎士の称号を授与された。
1928年(昭和3年)より、東京都三鷹市牟礼に在住。以来1964年(昭和39年)に死去するまでの36年間、この地に居を構える。
当時の三鷹は、桑畑や雑木林が連なる武蔵野の農村で、牟礼田んぼに霞がかかる田園地帯であった。この地の自然を愛した露風は、出身地である龍野町(現・たつの市)にある龍野城が別名「霞城」と呼ばれたことから、牟礼に新築した自宅を「遠霞荘」と名付けていた。
旧居宅は1990年(平成2年)まで現存していたが、現在は庭の松の木だけが残り、三鷹市により「三木露風旧居跡」として案内板が設置されている。所在地は三鷹市牟礼4-17-18。
1963年(昭和38年)に紫綬褒章受章。翌1964年(昭和39年)12月21日午前9時15分頃、三鷹市内の下連雀郵便局から出てきたところを、タクシーにはね飛ばされ頭蓋骨骨折で病院に運ばれるも意識不明の重体となる。その8日後の12月29日午後3時35分頃に脳内出血により75歳で死去。
旧居宅にもほど近い、大盛寺別院墓地(三鷹市牟礼2-14-16)に墓がある。戒名は穐雲院赤蛉露風居士。死去の翌年、1965年(昭和40年)に勲四等瑞宝章受章。
「碧川かた#碧川かた関連年表」も参照ゆかりの地
出身地の龍野市では、1985年(昭和60年)より「三木露風賞・新しい童謡コンクール」を毎年開催しているが、2005年10月1日の市町村合併にともないたつの市となり、コンクールの運営はたつの市に引き継がれた。
2001年(平成13年)には露風の功績を記念し、龍野市(現・たつの市)と三鷹市の間で姉妹都市提携が結ばれた。
1959年(昭和34年)開校した三鷹市立高山小学校(三鷹市牟礼4-6-12)には校歌がなく、1963年(昭和38年)、近隣に住む露風に作詞を依頼して校歌が制定された。高山小学校の校内には「三木露風コーナー」が設置され、自筆原稿や年譜などの資料が展示されている。
2009年(平成21年)2月、三鷹市は三木露風生誕120周年記念事業として、露風が36年間暮らした牟礼の地に「赤とんぼ児童遊園」を開設した。三鷹台団地の建て替えにともない整備されたもので、童謡「赤とんぼ」の歌碑や露風の足跡を記した歌碑などが設置されている。
また三鷹駅南口の中央通り沿いには「赤とんぼ」の姉妹の像もあり、「赤とんぼ」の曲は三鷹市防災無線の夕方の時報にも採用されている。三鷹市のコミュニティバス「みたかシティバス」は「赤とんぼバス」の愛称が付けられ、赤色の車体にとんぼのマークが描かれている。
ソース: 三木露風 – https://ja.wikipedia.org
牟礼神明社
牟礼神明社は、三鷹市牟礼にある神社です。牟礼神明社は、天文6年(1537)北条氏綱の家臣北条冶部少輔綱種(牟礼の高橋家の祖)が深大寺城に対峙した際、当地(高番山)陣内守護として飯倉神明宮の御分霊を勧請して創建、明治元年稲荷山(高山)に祀られていた稲荷神社を合殿したといいます。
出典:猫の足あと
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牟礼の里公園
牟礼の里公園は東京都三鷹市牟礼3丁目にある三鷹市立の都市公園。交通:京王井の頭線三鷹台駅より。
牟礼の里は、この地域一帯の良好な農空間でふるさと景観を保全·活用し、その中で農業体験や農空間の体験のできる環境づくりを目指している。この中で牟礼の里公園は、この良好な現況を活かし牟礼の里のエントランスとなる空間を創出している。
公園づくりのコンセプトは、「生活の原風景の再現となる農家の庭先的空間づくり」、「良好な環境を活かした五感で体感する公園づくり」、「良好な植生資源の保全·活用」という三つの考えに立脚している。
設計はL.A.U.都市施設研究所、施工:東和植物園。
規模: 0.58ha。総工費: 1億8千万円。工期: 1994年9月から1995年3月。
三鷹市緑と水の回遊ルートにおける重要拠点のひとつである。
緑と水の回遊ルート整備計画は、三鷹市が将来かくありたいと願う「緑と水の公園都市」のイメージを実現していくために、土台となる公園的な空間の骨格を形成するものである。
21世紀へ向けて、施策の体系的な展開を図ろうという実践的な計画である。緑やその他の景観資源、公共施設の配置状況や市民の生活道路としての利便性をふまえながらさまざまな拠点すべてを組み込んだ全市的な回遊ルート網を設定するものである。
ソース: 牟礼の里公園 – https://ja.wikipedia.org
三鷹市 歴史・文化・自然のご案内
三鷹市 歴史・文化・自然のご案内
牟礼の里公園は、多摩川上水に近接する高台にあり、周辺に広がる農業空間を含めて牟礼の里を構成するこの地域は、三鷹の原風景を感じることができます。
今後は、牟礼の里公園と玉川上水のアクセスを確保するとともに、玉川上水を軸とする公園緑地のネットワークの形成を目指して取り組んでいきます。
牟礼の里公園では、地域の方々のボランティア団体を結成して、園内の樹木の管理・清掃活動を行っています。
秋には地元の住民による秋祭りが開催され親しまれる公園となっています。
出典:三鷹市
℡0422-45-1151
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