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小江戸川越ウオークⅥ
・花見(新河岸川・中院)
・仙波河岸史跡公園
・喜多院
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仙波氷川神社
大宮氷川神社を総本社とする「仙波氷川神社」。
神社の真裏を走る国道16号線の喧騒を余所に、とても静かな境内です。
境内には稲荷・八坂神社の末社や、川越まつりで披露される仙波町の山車「仙波二郎安家」の保管庫、そして境内奥には遊具がいくつか設置してあります。
そんな仙波氷川神社には、いくつか見どころがあります。それは、「彼岸花」と「古墳」です。
出典:カワゴエール
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仙波河岸史跡公園
仙波河岸史跡公園は、川越の中心市街地の近くでありながら、水と緑が溢れる都会のオアシス的な存在。
明治の初め頃につくられた河岸場(舟運の船着場)跡が残り、園内からは湧水がでて、湿地帯をつくっています。
園内にはウッドデッキや歩道も整備され、さまざなま木々や植物、野鳥などを鑑賞することができます。
また、公園から崖上に続く階段をのぼると、仙波愛宕神社と延命地蔵尊が祀られています。
出典:カワゴエール
光西寺
長い旅路を経て川越までやって来きた光西寺は、永禄9年(1566/室町時代)に島根県浜田市で恵誓法師が建立しました。
浜田藩の松平周防守康任(幕府老中)は、天保7年(1836/江戸時代)に福島県棚倉町に転任になります。転任と言うと家族でお引越し、もしくは単身赴任かな?と思われますが、この時代の転任は藩士一族・親族・そして菩提寺までもが移動する大規模なものです!
この時光西寺は、城の近くに出張所という形で設けられました。
この30年後、今度は川越への転任が決まります。今回の転任は財政的に困難であった為、光西寺は新たに寺を設けず、川越市元町にある千寿院に借寺(一時的な仮住まい)をしたそうです。
そして時代は流れ大正時代、ようやく浜田市の光西寺と同様に初めて、川越(現在の地)に再建されました。
出典:カワゴエール
星野山 無量寿寺 中院
830年に淳和天皇の勅願により円仁が建立した寺院。境内に島崎藤村が義母に贈った茶室がある。桜の名所としても知られる。
出典:星野山 無量寿寺 中院
重要文化財・建造物
仙 波 東 照 宮
徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骸を久能山から日光に移葬した元和3年(1617)3月、喜多院に四日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)1月この地に創建した。
その後寛永15年(1638)正月の河越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年6月起工、同17年完成した。当初から独立した社格をもたず。
喜多院の一隅に造営されたもので、日光・久能山の東照宮とともに三大東照宮といわれている。
社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。
本殿の前には歴代城主奉献の石灯籠がある。
なお拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した十二聡の鷹絵額がある。
出典:埼玉県教育委員会
出典:川越市教育委員会
喜 多 院
喜多院は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山。良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。
建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。
広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。1月3日の初大師(だるま市)、節分、長月護摩講塔、七五三、菊祭りなど諸行事はむろん、四季折々の行楽客で賑わう。境内にある五百羅漢の石像も有名である。毎年、正月三が日の初詣には埼玉県内の寺院の中では最も多い約40万人の参拝客が訪れる。
ソース: 喜多院 – https://ja.wikipedia.org
仙波東照宮葵庭園
私たち川越葵ライオンズクラブは、平成15年から毎月6月末、ホタル観賞会「ホタル祭り」を実施し、市民の皆様に初夏の一夜を楽しんで頂いております。
本年、当クラブ結成30周年記念事業として、この庭園が自然のホタル自生地となるよう願いを込め、庭園のシンボルである池の護岸整備、八ツ橋造園、清流を保つポンプが生息しております。この池で産卵し、翌年5月下旬から7月上旬にかけて飛び立ち、幻想的な光を放ちます。
葵庭園のホタルが永遠に光を放つよう見守って頂ければ幸いです。
平成19年5月
出典:川越葵ライオンズクラブ
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天海大僧正
(1536~1643)
喜多院第27世住職であり、会津高田(現 福島県会津美里町)出身、江戸時代初期、喜多院を復興しました。
将軍徳川家康公の信頼あつく、宗教政策の顧問的存在として助言を行い、将軍も度々、川越城また喜多院を訪れています。
108歳で遷化(亡くなる)後、朝廷により「慈眼大師」の称号を賜りました。
行幸啓記念碑
2007年3月28日(平成19年)、天皇・皇后両陛下におかれましては、スウェーデン国王陛下・王妃陛下と共に喜多院をご訪問ご視察されました。
左側には、1977年11月10日(昭和52年)に、両陛下が皇太子殿下・同妃殿下として行啓ご訪問下さいました時の記念碑があります。
国指定重要文化財
山門– 川越大師 喜多院
山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門(しきゃくもん)の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。
出典:川越大師 喜多院
川 越 氷 川 神 社
氷川神社は、埼玉県川越市宮下町にある神社。太田道灌以来、川越の総鎮守とされ歴代川越藩主の篤い崇敬を受けた。
国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)は毎年10月14日に氷川神社にて斎行される「例大祭」、直後に行われる「神幸祭」や「山車行事(祭礼)」から成り立っている。
氷川神社に古くから伝わる「境内の玉砂利を持ち帰り、たいせつにすると良縁に恵まれる」との言い伝えにちなみ、本殿前の白い玉砂利を巫女が麻の網に包み、神職がお祓いした「縁結び玉」が毎朝8時より20体頒布されている。
毎年、七夕を含む夏には境内に飾られた2,000個以上の江戸風鈴に、願いを書いた短冊を結ぶ祭事「縁むすび風鈴」で賑わう。
敷地内には、結婚式場の氷川会館があり、埼玉県内では唯一の神社隣接の専門結婚式場として知られる。また、結婚式で執り行われる誓いの儀式「結い紐の儀」は川越氷川神社独自の儀式として商標登録されている。
埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社と区別するため、川越氷川神社と称されることもある。
ソース: 氷川神社 (川越市) – https://ja.wikipedia.org
蔵造りの町並み
「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」
そう言わせた”蔵造りの町並み”は、江戸の町並みが今なお残るエリアです。黒漆喰の壁に、重厚で豪華な蔵造り商家が軒をつらね、商人の活気と道行く観光客で賑わいをみせています。
出典:カワゴエール
公益財団法人 山崎美術館
橋本雅邦画伯
橋本雅邦画伯は、川越藩のお抱え絵師橋本晴園養師の子息にて、画道に勝れ、日本革新の先覚者であり明治時代における我が国画壇の最長老であります。
依って、郷土川越の有志が集まり、明治32年(1899)画宝会を結成し、先生のご力作の頒布をいただきました。
山崎家4代目故山崎豊翁は、同会の幹事として率先活躍するとともに、画伯から受けた作品をすべて大切に保管し、これを子孫に伝承させたものであります。
併し、子孫としては、社会公益の為、一般に広く鑑賞を仰ぎ、以って美学向上の資料に供するに、如かずと考え、ここに翁の誕生150年を記念し、昭和57年文化の日に山崎美術館を発足いたしました。
より多くの方々のご利用を切にお願いします。
出典:龜屋
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