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第54回鎌倉歴史探訪ウオーク 🔶◇🔶③大船観音巨福呂坂切通し
(距離12㎞)
🔶◇🔶平成30年12月24日
大 船 観 音 寺
全長約25mの巨大白衣観音像(大船観音)で知られる。JR大船駅西口より徒歩10分程度。
シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
散在が池森林公園
みなさんこんにちは
散在が池森林公園にようこそ、この森林公園はみなさんの憩いの森として、また鎌倉の自然のしくみを理解する場所として、整備したものです。散在ヶ池を中心に東西に広がるこの公園は、小面積ながら、起伏に富んだ地形と静かな森、そして四季折おりに姿をかえる自然のさまは、都合の生活に疲れた心を、きっといやしてくれることと思います。
市と県では、この残された貴重な森の利用と考え、荒発した林地などへ植栽を行うとともに、みなさんが安心して利用できる必要最小限の施設を整備しました。
都市化が進んでいくなかで残された貴重な森を、大切に守っていけるよう、みなさんのご協力をお願いします。
それでは、この自然と心静かに心ゆくまで語り合ってください。
整備事業名 生活環境保全林整備事業
対象 面積 約28ha
滝ノ入北公園
鶴岡八幡宮 三の鳥居
神社の出入り口として、なくてはならないのが、鳥居です。
鶴岡八幡宮にも、建立当初、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の時代から鳥居はあったようですが、大風などで度々倒壊し、その度に再建を繰り返していました。
現在の一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居のルーツは、江戸幕府第四代将軍・徳川家綱が、1668年(寛文八年)に寄進した鳥居だと言われています。
それ以前は木造の鳥居でしたが、家綱は鳥居建立のために、はるばる備前国(現在の岡山県東南部)の犬島から、花崗岩の御影石(みかげいし)と呼ばれる石材を取り寄せ、石造の鳥居を建てました。
1904年(明治三十七年)、3基の大鳥居は揃って国宝に指定されましたが、1923年(大正十二年)の関東大震災で倒壊してしまいました。
現在、二ノ鳥居と三ノ鳥居は鉄筋コンクリート造になっていますが、最も海に近いところに建つ一ノ鳥居は、関東大震災の後も、1936年(昭和十一年)に石材で再建されています。
時間の許す方は、江戸時代に建立された鳥居の趣を今に伝える一ノ鳥居も、ぜひ見に行ってみてくださいね。
一方、先代の二ノ鳥居の石材の一部は、鶴岡八幡宮敷地内の鎌倉国宝館近くにある源実朝の歌碑として、三ノ鳥居の石材の一部は、三ノ鳥居から真西に6kmほど離れた、鎌倉山ロータリーにある鎌倉山の石碑として、それぞれよみがえっています。
出典:神社・寺 御朱印めぐり.COM
豊島屋 本店 鳩サブレー
明治27年(1894年)豊島屋は鎌倉の地に誕生いたしました。以来100有余年、お客様に愛されるお菓子を作り続けてまいりました。
「お客様の笑顔」を求め、製造に携わる者はてまえどものお菓子をお客様が召上がって頂いた時の笑顔を求め、販売を行うものは、笑顔の接客はもちろん、お買い求めるお客様が笑顔になるような接客を目指し、日々精進させていただいております。
おかげさまで鎌倉と言えば「鳩サブレー」と言われるほど、初代が生み出した明治生まれの鳩サブレーは地元鎌倉を中心に、皆さまにご愛顧を頂戴しております。
てまえども豊島屋は和菓子屋として、季節の移ろいを菓子に描くと同時に、鎌倉の語りべとして、鎌倉らしいお菓子を作り続けたいと思っております。
当たり前のことを普通に、ウソをつかないお菓子を作り、お客様の笑顔を求め、これからも社員一同頑張らせていただく所存でございますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
出典:豊島屋四代目
鎌倉海浜公園 由比ガ浜地区
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