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「南高尾山稜から高尾山へ」
3月19日高尾・陣場
ファンクラブハイキング
正名山地蔵院 大光寺
宗派 真言宗 智山派系単立
ご本尊 北向き阿弥陀如来像
高尾の霊峰をはるかに眺め、幽玄なただずまいの中に屹立し、JR中央線と京王線が乗り入れ、多摩御陵と高尾山と霊園の昇降駅として有名な高尾駅の南に位置し、駅に一番近い寺院として有名で、弘法大師霊場「多摩四国八十八ケ所霊場第七十番札所」が、正名山地蔵院大光寺である。
本堂・庫裏・山門は寺院建築としては、珍しい北向きで、山門は両脇の素晴らしい松と調和して、一幅の絵を見るような、景観をつくり出している。
開基は元和元年(1615)高尾山薬王院、第九世源恵上人である。
源恵上人開山後、約百年後の1720年代の中興開山広雄上人より今日まで中興第15世を数える。
古文書によれば、およそ190年前、天明5年(1785)4月、中興第6世憲善上人によれば、「本堂畳、91畳」「境内に杉、さわら5、6千本余り」「備金百25両とある」。
大南院より5石、以下常憲院、有徳院、惇徳院、浚明院、文恭院、煩徳院、温恭院、昭徳院、明徳院、より9通の御朱印状と御朱印地を賜ったという往時の隆盛のさま、堂々たる伽藍のようすが覗われる。
明治5年(1882年)11月21日夜11時頃出火し、本堂、庫裏等すべて焼失し、庫裏は清水次郎長の客分で、高尾出身の関東綱五郎の旧宅を移築し現在に至る。
本堂は明治34年(1901年)10月14日に、高尾山薬王院第9世源恵上人(当山開基)の創建になる薬師堂と山門(現存)を、金百両高尾山に奉納し、移築し本堂として再興したが、老巧甚だしきため、昭和51年に地下一階客殿、地上一階本堂を新造再建した。
現、山主は開かれたお寺をと一般の皆様に開放し、仏事相談、人生相談、写経など仏様の教化に専念し、みなさまに喜ばれております。どうぞ、いつでもご来山ください。
出典:宗教法人 大光寺
みんなでSHAREするミュージアム
TAKAO 599 MUSEUM
TAKAO 599 MUSEUMは、東京都八王子市高尾町にある市立自然史博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ついに広域ネットワークが形成
高尾山IC
首都圏中央連絡自動車道(以下、圏央道)は、都心から半径約40~60km内の横浜市・相模原市・川越市・つくば市・成田市・木更津市などの東京郊外の都市を結ぶ環状の自動車専用道路。2015年3月時点で総延長約300kmのうち約200kmが開通している。
2014年6月28日、相模原愛川IC~高尾山IC(約14.8km、4車線)が開通し、東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道などの放射道路とを結ぶ広域ネットワークが形成された。このことで混雑緩和や災害時の道路ネットワークの強化、地域活性化の支援、各高速道路間の移動短縮などが期待されている。また2015年3月8日には寒川北IC~海老名JCT間も開通し、一般道を利用することなく都心から湘南エリアへ行くことができるようになった。
出典:MapFan
ここは「関東ふれあいの道」の起終点梅の木平です
梅の木橋
関東ふれあいの道とは、関東一都6県をぐるりと一周する総延長
1,799㎞の長距離自然歩道のことで別名を首都圏自然歩道と言います。
東京都八王子市南浅川町の国道20号沿いの「梅の木平」を起終点に、高尾山・奥多摩・秩父・妙義山・大平山・筑波山・霞ヶ浦・九十九里浜・房総・三浦半島・丹沢などを結んでいます。
出典:環境省
案内川の貴布祢橋
吉髙菊一稲荷神社
ザゼンソウ
仏像の光背に似た形の花弁の重なりが僧侶が座禅を組む姿に見えることが、名称の由来とされる。また、花を達磨大師の座禅する姿に見立てて、ダルマソウ(達磨草)とも呼ぶ。
冷帯、および温帯山岳地の湿地に生育し、開花時期は1月下旬から3月中旬。開花する際に肉穂花序で発熱が起こり約25℃まで上昇する。そのため周囲の氷雪を溶かし、いち早く顔を出すことで、この時期には数の少ない昆虫を独占し、受粉の確率を上げている。開花後に大型の葉を成長させる。
ザゼンソウの発熱細胞には豊富にミトコンドリアが含まれていることが明らかになっている。しかしながら、発熱の詳細な分子メカニズムは、現在のところ分かっていない。動物における発熱には、「脱共役タンパク質」が関わっていることが突き止められているが、このタンパク質は、発熱しない植物にも幅広く存在しており、ザゼンソウの発熱に関与しているかは不明である。
発熱時の悪臭と熱によって花粉を媒介する昆虫(訪花昆虫)であるハエ類をおびき寄せると考えられている。全草に悪臭があることから英語では Skunk Cabbageの呼び名がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関東ふれあいの道 湖のみち
梅の木平からゆるい起伏のある都県境の尾根道を歩き、大垂水峠及び城山を通り高尾山口までのこの道は、首都圏自然歩道“湖の道”に指定されています。全工程約16.2㎞の間には、木々の間から津久井湖や相模湖を見おるし富士山の美しい景色も望めます。城山からは、“鳥の道”及び東海自然歩道と合流し高尾山へと進みます。
出典:環境省・東京都
大垂水峠橋
高尾山自然休養林
登山者数世界一!
首都の野外博物館
~多様な動植物と悠久の歴史・文化~
様々な貌の森がある。
高尾山は標高599mの小さな山にもかかわらず、地形や斜面方向の違いによって、多種多様な森からなっている。南斜面にはカシ類の常緑広(□)業樹林、北斜面にはイヌブナの優占する落葉広葉樹林が見られる。尾根筋には針葉樹と広葉樹の混交林、沢沿いにはケヤキ、チドリノキ、フサザクラの渓谷林が見られる。また、かつて薪や炭として利用されたコナラやクリの雑木林、スギやヒノキの人工林も広がっている。このように高尾山には四季折々に様々な表情を見せる森がある。
森に暮らす生き物がいる。
変化に富む高尾山の森には、それぞれの環境に応じて1,600種以上の植物が生育し、多くの動物が生息する。ムササビ・タヌキなど25種以上の哺乳類、シジュウカラ・オオルリ・ルリビタキなど70種以上の鳥類、モリアオガエル・ヒダサンショウウオなど10種以上の両生類アオダイショウ・ニホントカゲなど8種類以上の蛇虫類が生息する。また、大阪の箕面山、京都の貴船山と並ぶ三大昆虫生息地の一つと称された、4,000~5,000種に及ぶ昆虫が生息するといわれている。このように都市に比較的近い高尾山の森に多種多様な生き物が暮らしている。
森を守った歴史がある。
高尾山の森は744年に聖武天皇の勅命を受けた僧・行基によって開山されて以来、代々にわたり守られてきた。戦国時代に高尾山を支配した北条氏照は「山中に入り、やたらに木を伐採してはいけない」と制札を掲げている。江戸時代に移っても森林の保護は続く、江戸時代の代官・大久保長安は1591年の制札で高尾山や竹林の保護を命じている。明治に入り1889年に高尾山の森林の大部分は皇室の財産である御料林とされ、さらに戦後の1947年に国有林となった。現在でもその森林は自然休養林や国定公園に指定され、大切に管理・保全されている。
歴史と文化を防ぐ人がいる。
高尾山は自然の豊かな山であるとともに、信仰の山でもある。その象徴が薬王院である。高尾山信仰は江戸時代初期にそれまでの大名から町民の間に広まる、関東各地から多くの参詣人が高尾山に登るようになった。江戸を出発して八王子宿に泊まり、翌日に高尾山に登る高尾講は江戸町民にとって手軽で好評であった。高尾講の人気とともに、当時の甲州街道沿いに土産店や飲食店が立ち並ぶ門前町が形成された。明治期に新街道の開通によって高尾山口駅の周辺に門前町は移り、薬王院や地元住民とともに、歴史や文化を防ぎながら今も人々を温かく迎えている。
出典:東京神奈川森林管理署
大平地区歩道案内図
一丁平桜並木
森林ボランテァ活動拠点施設
森林ふれあい館
施設及びトイレの利用はできません
大平地区歩道案内図
一丁平桜並木
森林ボランテァ活動拠点施設
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明治の森高尾国定公園
高 尾 山 頂 599.15m
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