第13回 下総・江戸川ツーデーマーチ 第1日目 2019年4月13日(土)
真間川文学の道コース
市川市スポーツセンター
施設利用者専用駐車場
国府台陸上競技場
下総国分尼寺跡公園
下総国分寺跡(国分僧寺跡)より北西500メートルの場所にあり、現在は公園として保存されています。国分尼寺は、国分僧寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発せられた「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立されたものですが、建立の実年代は現在のところはっきりしません。
この地はかつて「昔堂」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていましたが、昭和8年に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡であることが分かりました。
伽藍配置は、南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にあります。昭和42年夏に行われた発掘調査では、東西25.5メートル、南北22.4メートルの金堂基壇と、東西27メートル、南北19メートルの講堂基壇が発見されています。また、寺域を区画する北・東・南側の溝も確認され、東溝からは黄白色と緑で彩られた二彩の小壺か発見されています。
出典:市川市教育委員会
街かどミュージアム拠点案内板
文化の街かど情報
“国分の石造物”
国分地域を歩いていると様々な石造物を見かけます。国分尼寺跡公園の脇には、そこがかつて馬捨て場であったことから、馬の供養のために建てられたと思われる馬頭観音があり。また、国分尼寺跡公園から下総国分寺に向かう途中には、庚申塔を祀った祠が2つあります。これは60日に一度巡ってくる庚申の日の夜を徹して起きていることによって、悪事を天帝に告げられずにすむという庚申信仰にまつわる石造物です。
他にも、昔、侍が酒に酔って腹を刺してしまったという言い伝えの残る切腹様、かつて力自慢を競うために用いたといわれる力石など、様々な石造物があります。石造物をテーマに街歩きをしてみるのもおもしろいのではないでしょうか。
出典:市川市文化振興担当
真間山 弘法寺 山門
奈良時代、行基が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりとされる。平安時代、空海が伽藍を構えて弘法寺と改称したという。その後、天台宗に改宗した。鎌倉時代、日蓮の布教を受けて、時の住持・了性法印が法華経寺・富木常忍と問答の末やぶれ、日蓮宗に改宗した。常忍の子で日頂を初代の貫主とした。大檀那の千葉胤貞より寺領の寄進を受ける。室町時代、山下に真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展した。徳川家康より朱印地30石を与えられる。江戸時代、徳川光圀が来訪し茶室に遍覧亭という号を贈る。紅葉の名所として知られ、諸書に弘法寺の紅葉狩りのことが記されている。明治時代、火災のため諸堂は焼失した。その後、再建され現在に至る。境内には、日蓮の真刻と伝える大黒天を祀る大黒堂、鐘楼、仁王門、伏姫桜とよばれる枝垂桜があり、小林一茶、水原秋桜子、富安風生などの句碑がある。
現住は82世鈴木日晋貫首(台東区経王寺より晋山)。池上法縁五本山のひとつ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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