城山公園から
志木新河岸川あじさいロード
を散策
お知らせ(朝霞ライオンズクラブ)
朝霞ライオンズクラブでは、平成6年度から9年度までの事業の一環として、当地城山公園内に、市民の皆様に末永く楽しんで頂けますよう〔あじさい植樹〕を行います。
朝霞ライオンズクラブ一同
〔今後共、市民の皆様のご協力をお願いします。尚詳しい事は事務所までご連絡して下さい。〕
出典:朝霞ライオンズクラブ事務局
このあじさいは、「彩の国みどりの基金」を活用した事業で植えています。
出典:志木市
富士下橋
所在地: 〒353-0002 埼玉県志木市3 富士下橋
昆虫のすむ池
私たちのくらしている街は、アスファルトやコンクリートでおおわれている場所が多いため、土の部分が少なくなっています。そのため植物はそだたず、虫たちはすみかをうしなってしまいました。
志木市ではこの池のような場所をできるだけ本来の自然の姿のまま残し、トンボやアメンボウなどの虫たちや虫を食べに集まってくる鳥たちのために守っていきたいと考えています。
この池にコイ、ブラックバス、ブルーギルなどの魚を放流することは、本来の自然の状態の大きなえいきょうを与えることとなるため、絶対にしないようお願いいたします。また、新たに花や草を植えたり、はえている野草をむやみにふみつけたり、ホテイアオイのようなはんしょくりょくの強い植物を捨てたりすることも自然の状態にえいきょうを与えることとなるので行わないでください。
みなさまのご理解とご協力をお願いいたします。
出典:志木市
・敷島神社
・田子山冨士塚
愛の泉
所在地: 〒353-0004 埼玉県志木市本町2丁目10−10
敷島神社
境内の一角には「田子山富士」と呼ばれる堂々とした富士山が築かれ、このことから当社は「たごやまのおふじさん」とも称され親しまれている。
出典:埼玉県の神社
英 霊 に 捧 ぐ
大東亜戦争の敗戦より35年たちました。今日本人は国民の間の貧富の差が自由世界で最も少なく思想とその発言は世界で最も自由な国であり且つ建国以来最も豊かで平和な生活を営んでいます。又この戦争を機会に多くの国々が植民地から独立国家と変わりました。大東亜戦争に破れましたが結果としては戦争の目的は達成されました。然しこの成果を得る為に貴兄方の尊い命がささげられたことを私達国民は永遠に忘れてはなりません。今後はこのことを深く肝に銘じいかなる内外からの暴力に対してもこれを阻止してこの平和な祖国を守り且つ之を子孫に伝える努力を致します。
昭和55年8月15日
神山秀三郎
施工 石栄 内田栄信
ご神木(欅)
太根保護のため木路を設けてあります。ご神木廻りをされる方は木路の上をお通り下さい。
敷島神社
敷島子安神社
縁結びの石
この石をなでると、
子授け・安産が、
叶います。
埼玉県指定有形民俗文化財
田子山富士塚
【富士塚】
江戸時代中期(18世紀後半)以降、富士山に対する信仰が広まり、富士山への登拝が盛んになりました。信仰のよりどころとして、また、山に登ることができない人も実際に参拝したのと同じご利益がえられるとして、関東地方を中心に富士山を模した人工の塚が作られるようになりました。
【田子山富士塚の成り立ち】
明治時代初め、引又(現在の志木市本町)に住む高須庄吉が、田子山の頂上で、富士信仰に関わると言われる板碑を発見しました。富士信仰に篤かった庄吉はここに富士塚を造ることを思い立ち、自身が属する富士講の一派である丸吉講が中心となって明治5年(1872)に田子山富士塚が完成しました。
築造にあたっては新河岸川の舟運で栄えた地元の商人・舟運関係者・職人・農民はもちろん、東京・栃木・新潟・福島・岐阜・などからも寄進がありました。塚に設置された石造物から、2,400人を超える人々から寄進があったことが分かります。塚中腹にある経ヶ嶽付近の玉垣には、明治時代のはじめに活躍した坂東三津五郎・尾上菊五郎・岩井半四郎などの歌舞伎役者の名前も見られます。
現在、田子山富士保存会を中心に7月最初の土曜日または日曜日に「山開き」、8月21日に「山仕舞い(お焚き上げ)」の行事を行っています。![]() | ![]() |
田子山富士塚平面図 | 田子山富士塚築造当時の引又宿の様子 引又は、宿場や河岸場があり、毎月6回市が立つ、大いに栄えた商業地でした。 |
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中村芝翫(なかむらしかん)・坂東三津五郎の銘のある玉垣 | 尾上菊五郎・中村(なかむら)仲蔵(なかぞう)の銘のある玉垣 | 親子猿 |
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石神座像 | 鳥帽子磐 | 高尾山鳥天狗 |
【田子山富士塚について】
田子山富士塚は、高さ8.7m、直径が約30mの楕円形(だえんけい)をしており、江戸時代後期から明治時代にかけて関東地方を中心に築かれた富士塚の一つです。
頂上には木花開耶姫(このはなさくやひめの)命(みこと)を祀った祠、中腹には小(こ)御嶽(みたけ)神社(じんじゃ)や烏帽子岩(えぼしいわ)、里宮と呼ばれる浅間神社が建てられています。石造物の種類・数がたいへん多く、なかには優れた細工が施(ほどこ)された石造物も見えること、御胎内(おたいない)が現存していることが見どころです。
平成16年に、志木市指定有形民俗文化財、平成18年3月に、埼玉県指定有形民俗文化財に指定されました。また、富士塚築造のきっかけとなったと言われる暦応(りゃくおう)3年(1340)の板碑は浅間神社のご神体として祀られています。
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田子山富士塚は実際の富士山に似せてつくられています。 | 浅間下社の板碑 | 田子山富士塚頂上より富士山を望む |
平成29年3月
出典:志木市教育委員会
田子山冨士保存会
埼玉県指定有形民俗文化財
田 子 山 富 士 塚
敷 島 神 社
引又地区(現本町)の住民が、江戸後期から地区独自の鎮守として信仰していた村山稲荷(祭神 倉稲魂命)のほか、星野稲荷(祭神 倉稲魂命)と水神社(祭神 罔象女命)を元来この地にあった浅間神社(祭神 木花開耶姫命)に合祀し、新しい鎮守として明治41年に創建された神社です。
五月の例大祭と十一月の勤労感謝祭には、浦安の舞の奉納が、水月の大祓には、人形流しと茅の輪くぐり(夏の悪疫除け)等の神事がそれぞれ行われていますが、特に七月の夏祭りは天王様のお祭りとして近隣の市町村にも知られた大祭です。
また、八月の火祭りは、お焚き上げとも言い、祭神木花開耶姫命が夫の瓊瓊杵尊に懐妊を怪しまれ、その証をたてるため八尋殿に火を放ち火の中で火照命・火闌降命・火折命を生んだ神話にちなむ火祭りで安産・火難・災難除けとされ、この時の薪の燃え残りを戸口につるして置くと盗難除けになるといわれています。
平成6年3月30日
出典:志木市教育委員会
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