師走の冬晴のした、
皇居東御苑に作られた大嘗祭と
新国立競技場を見学しながら
健康ウオーキング
旧江戸城 外桜田門
重要文化財(建造物)指定昭和36年6月7日
現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します。
外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外桝形という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(320坪)。建築されたのは寛永年間(1624~44)とされ、現存する門は寛文3年(1663)に再建された門がもとになっています。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、復元されました。
万延元年(1860)3月3日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。
江戸城 坂下門
坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15日(1862年2月13日)、老中・安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名。
出典:東京とりっぷ
江戸城 局門
普段は通れない乾通り沿いにあり、大奥に一番近いことからお局の名前がついたそうです。
出典:攻城団
江戸城 門長屋
サクラ バラ科
シキザクラ
四季桜
道 灌 濠
皇 居 東 御 苑
皇室のお庭
入園無料
江戸城 平川門
太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12)年、高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)という強固な枡形門のスタイルとなりました。
出典:東京とりっぷ
新国立競技場
1958年(昭和33年)に開場した国立霞ヶ丘陸上競技場(旧・国立競技場)の老朽化対応と、東京オリンピック・パラリンピックの主会場とすることを念頭に、旧・国立競技場の全面改築により建てられた施設で、新国立競技場の仮称にて2012年より建設事業に着手。2016年12月に着工し、2019年7月3日に開場後の正式名称が『国立競技場』となることが日本スポーツ振興センターより発表され、2019年11月に竣工。2019年12月21日に施設の開場式(オープニングイベント)を開催した。スポーツイベントとしてのこけら落しは2020年1月1日の天皇杯JFA 第99回全日本サッカー選手権大会決勝・ヴィッセル神戸vs鹿島アントラーズで、神戸が鹿島を破り初優勝を果たした。
正式な所在地は新宿区霞ヶ丘町であるが、競技場の敷地は新宿区と渋谷区に跨がって立地している。明治神宮外苑に隣接するが、神宮外苑の施設には含まれていない。
開場時点では陸上競技場兼球技場として建設されており、東京オリンピックでは開会式・閉会式の他、陸上競技(トラック&フィールド)、サッカー(女子決勝)の会場として、東京パラリンピックでは開会式・閉会式の他、陸上競技(トラック&フィールド、及びマラソンのゴール)に使用される。オリンピック・パラリンピック以降の利用方法については、「陸上競技場として存置」「球技専用施設に改修」などの案が取り沙汰されているが、結論を大会終了後の2020年秋まで先送りすることが明らかになっており、流動的である。
旧国立霞ヶ丘陸上競技場の施設内に存在した秩父宮記念スポーツ博物館は、新デザインの募集では「ホスピタリティ機能」の中に含まれ設置が想定されているものの、開場時点では設置されず、足立区綾瀬の仮事務所にて業務を行っている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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