きらり健康づくり 朝霞の散策路
(城山コース)
駅周辺案内図 | 朝霞市全域図 |
朝霞駅東口広場案内図
朝霞駅東口広場
昭和35年に管理開始された「東朝霞団地」の建て替えを契機として、朝霞市とUR都市機構が連携し、UR都市機構の直接施行制度を活用して住宅と公共施設の一体的な整備を行いました。
この広場は、地域住民の方々と一緒にユニバーサルデザインについて考え、誰もが安心・安全・快適に利用できる駅前空間となることを目指し、整備されたものです。
[朝霞駅東口周辺のうつりかわり]
朝霞市立朝霞第七小学校 | 朝霞市立朝霞第八小学校 | 朝霞市立朝霞第二中学校 |
朝霞市立朝霞第八小学校 | 朝霞市立朝霞第四中学校 | 朝霞市立朝霞第四中学校 |
これらの絵は、朝霞第七小学校、朝霞市立朝霞第八小学校、朝霞市立朝霞第二中学校、朝霞市立朝霞第四中学校の生徒の方々が描いて下さったものです。
工事中の駅前広場を楽しく、華やかに彩っていただきました。
昭和35年4月 東朝霞団地管理開始 |
平成12年3月 東朝霞団地建替事業着手 |
平成14年3月 朝霞駅北口周辺地区住宅市街地 整備総合支援事業整備計画承認 |
平成14年4月 3・4・15号駅東通線都市計画決定 |
平成15年3月 UR都市計画(現)直接施行同意 (朝霞市) |
平成15年7月 朝霞市北口地下自転車駐車場 都市計画決定 |
平成16年2月 都市計画事業承認 |
平成19年3月 建替事業完了 (コンフォール東朝霞) |
平成19年4月 朝霞駅東口地下自転車駐車場 共用開始 |
平成20年4月 朝霞駅東口広場全体共用開始 (全体共用開始を機に、広場の 名称が「北口」から「東口」に 改められました。) |
出典:UR都市機構
松光山 東圓寺
真言宗智山派寺院の東圓寺は、松光山と号します。創建年代は不詳ですが、古来より薬師堂とその別当寺が近隣にあったといい、その薬師堂が廃れたのを惜しんだ法印永慶が寛弘年間(985~1011)に再建し中興高祖となったといいます。太田道灌が当寺本尊薬師像を、城内鎮護として持ち去ったこともあったものの無事返還、徳川家康江戸入府後には、当地の代官となった甲斐荘喜右衛門が当寺を当地へ移転したといいます。当寺不動堂横には霊泉とされる不動の瀧があります。
出典:猫の足あと
一夜塚供養塔の由来
この一夜塚供養塔の由来の由来は、搭の向かって左側面に記されて居りますが、ご参詣の皆様に一夜塚の由来を敢えて紹介いたします。
昭和18年、大東亜戦争の最中、東京より郷里朝霞に戻ってくる世帯が多く、この岡地域、第二小学校の児童数も急増、町として小学校の増築を決定、校庭の隣りにあった一夜塚を延べ三千人で取り崩し、そこに小学校を建てたのであります。
昭和27年、時の先輩達は一夜塚古跡保存会を結成して第二小学校校庭隅に一夜塚古墳阯碑を、一方、この寺にはその頂上付近から発掘された木炭槨の古墳、出土品の一部を埋葬し、懇ろに一夜塚御霊の供養をし、この供養塔を建てたのであります。
おそらく当時の先輩たちは、取り崩された古墳の主に謝罪する一方、その跡地、小学校に学ぶ私共子孫に御霊の御加護をお願いして建てた事と思います。
尚、この案内板については、東圓寺のご快諾いただき、設置することができました。
何卒、この地域の往時を偲びつつ、一夜塚古墳の御霊に慰霊合掌して下さることを念じて、この一夜塚供養塔の紹介とさせていただきます。
平成17年秋彼岸
出典:一夜塚古跡保存会
朝霞市指定有形文化財 考古資料
東圓寺の板石塔婆
保護樹木指定標識
緑を愛しましょう。
保護樹木名 イチョウ
指定番号 51
指定年月日平成2年4月1日
出典:朝霞市
保 護 地 区 指 定 標 識
自然はわたしたちの宝です。緑を大切にまもりましょう。
指定番号 3-1
指定年月日平成2年3月1日
出典:朝霞市
利用案内
❶開館時間
❷休 館 日
❸入館料 無料
出典:朝霞市博物館
わくわくふれあい花壇
園内の施設や遊具等を大切にしましょう。 | ゴミは持ち帰りましょう。 | 園内に犬など動物をつれて入らないでください。 |
オートバイ・自転車の乗り入れは禁止します。 | 野球・サッカー・ゴルフの練習は禁止します。 | たき火、火の使用は禁止します。 |
わたしたちの花壇です。大切に使っていつも美しくしましょう。楽しい花壇にしましょう。
出典:朝霞市
城山公園 案内図
次のことを守って利用してください。
・植物をいためたり、施設をこわさないこと。
・自転車、オートバイ等を乗り入れないこと。
・犬などのペットは必ずくさりにつないで下さい。
・ごみ等を散らかさないこと。
・他人に迷惑をかけないこと。
・人工芝内でタバコは吸わないこと。
・花火等火気を使用しないこと。
・宣伝、営業行為をしないこと。
出典:朝霞市役所
城 山 公 園 案 内 図
廣澤山本仙寺
岡地区・本仙寺
廣澤山本仙寺といい、宗旨は日蓮宗一致派で、本尊は日蓮上人である。もとより本寺を池上本門寺とする。『風土記稿』では、本善寺と記し、「城山ノ中腹ニ在テ耕地ニ臨メリ」とある。また、明治17年眞造の同寺「過去帳」にょれば、創建年は天文元(1532)年で、開山は池上本門寺第九世恵眼院日純上人(法光院日宣)としている。旧境内付近からは宝篋印塔・板碑等が出土されているが、このうち最古の年代は貞治5(1366)年であることなどからして、少なくとも一四世紀半ばには何らかの堂宇あるいは持仏堂の建立をみてたと推測されている。特に、寺の成り立ちについては、岡の城山に存在したとする中世城郭との関係が探求されているところでもある。当寺は、元寺田と呼ばれる低地にあったが、明治になってやや東寄りの現在地に移転した。山麓にあったことは本堂も庫裡もひとつ棟の建物で、本来、小寺院的ないしは墓辺寺・三昧堂的な性格をもっていたともいわれている。
最近のこととしては、昭和45年に墓地造成、49年に庫裡、50年に客殿、59年に本堂、62年に山門と相次いで改築が施された。また昭和62年には大黒堂も新たに造立されている。(「朝霞市史」より)
出典:猫の足あと
向山公園(ムカイヤマコウエン)
園内の施設や草花を大切にしましょう。 | ゴミは持ち帰りましょう。 | 園内に犬など動物をつれて入らないでください。 |
オートバイ・自転車の乗り入れは禁止します。 | 野球・サッカー・ゴルフの練習は禁止します。 | 花火・たき火など火の使用は禁止します。 |
みなさんの施設です。たいせつに使っていつもきれいにしましょう。
出典:朝霞市
湧水代官水 利用時間
4月1日~9月30日
午前9時~午後6時
10月1日~3月31日
午前9時~午後5時
利用時間以外は、出入口が施錠されます。
湧水代官水 施設を利用するみなさまへ
ここは朝霞市指定文化財(天然記念物)「湧水代官水」の保存することを目的につくられた施設です。
みんなが気持ちよく利用できるよう、ご協力をお願いします。
1.立ち入り禁止区域には絶対に入らないでください。
2.施設をこわしたり、落書きをしないでください。
3.敷地内での火気使用及び喫煙はご遠慮ください。
4.敷地内の動植物をとることはしないでください。
5.斜面地は草や木を守るため立ち入り禁止です。
6.水路はぬかるんでいるため危険です。絶対に入らないでください。
7.犬などのペットを放さないでください。また、ペットのフンやゴミはお持ち帰りください。
8.ゴルフ、野球、サッカーなどの球技や、たき火、花火などは絶対にしないでください。
9.自転車、オートバイなどは、トイレ近くの指定した場所以外への乗り入れは禁止です。
10. そのほか、他の人に迷惑になるようなことをしないでください。
出典:朝霞市教育委員会 文化財課
朝霞市指定文化財(天然記念物)
湧 水 代 官 水
湧水代官水の保存整備
上の写真は、平成22年8月に整備する前の湧水代官水を撮影したものです。
湧水代官水は、保存整備工事前の約40年にわたり人の手がはいることはなかったため、木や雑草は伸び放題となってしまい、昔の面影はありませんでした。
今回の工事におきまして、斜面林・水路等を保存のための整備を行い、一部にはかつてこの付近にあった湿地を再現しました。
水源地以外からも水が湧いているところがありますので、ぜひ水が湧いているところを探してみてください。
平成24年1月
出典:朝霞市教育委員会
朝霞市指定天然記念物
『湧水代官水』
指定年月日平成22年9月1日
1位置
朝霞市の中央部よりやや東に位置し、現在の住居表示では岡三丁目にあります。
最寄り駅の東武東上線朝霞駅からは北へ約1.3㎞の位置にあたります。
2由来
江戸幕府により編纂された「新編武蔵風土記稿」の岡村の項の記述には、小名として「代官水」の名称が記載されており、江戸時代後期には、「代官水」と呼ばれた地域が岡地域に存在していたことが推測されます。また、本湧水は、昔から灌漑用水などとして地域の人々に「代官水」と呼ばれ、利用され親しまれてきたものです。
3面積
公開している平地の部分と、通常は緑地保護のため公開していない斜面地を合わせて約3,800㎡あります。
4保護
湧水代官水は、標高14~21mの崖線の谷頭から出る湧き水で、水源地のほか、数箇所から湧き出ています。これらの湧水は、現在も豊富な水量を保っており、湧き水が流れ出る緑豊かな斜面地とともに残されている、市内では数少ないものです。
大切な湧水である「代官水」を、周囲の斜面地とそこに広がる雑木林とともに恒久的に保存し、公開することは、開発によって失われつつある自然景観を保護するだけでなく、かつてこの地で営まれてきた生活・文化を、歴史として永く後世に伝えていく貴重な意味を持ちます。
平成24年1月
出典:朝霞市教育委員会
この湧水は標高14~21mの
崖線の谷頭から出る湧き水
この湧水は標高14~21mの崖線の谷頭から出る湧き水で、田畑の灌漑用水等に利用されるなど、古くから地域との関わりの中で親しまれてきたものである。
平成21年9月1日指定(湧水代官水)
旧高橋家住宅 敷地図
旧高橋家住宅 施設を利用する皆様へ
ここは重要文化財「旧高橋家住宅」の保存と活用を目的につくられた施設です。みんなが気持ちよく利用できますように、ご協力をお願いします。
1.立入禁止区域に入らないでください。
2.木を切ったり、花を摘んだりしないでください。
3.施設をこわしたり、落書きをしないでください。
4.ペットは連れ込まないでください。
5.ゴミはお持ち帰りください。
6.ゴルフ、野球、サッカーなどの球技はしないでください。
7.敷地内は火気厳禁です。喫煙、たき火、花火などは絶対にしないでください。
8.危険物は持ち込まないでください。
9.車、オートバイ、自転車などの乗り入れは禁止です。
10. そのほか、他人に迷惑になるようなことをしないでください。
重要文化財 建造物
旧高橋家住宅
納 屋(コエマヤ)
農機具など、ふだん使用することの多い道具などを保管していた建物です。高橋家では「コエマヤ」と呼んでいました。
建築年代は不明ですが、もとは麦わら葺き平屋建てでした。昭和30年ごろに鉄板葺き2階建てに改造されました。
以前の建物の構造などが不明なことから、改造後の建物をもとに修理を行いました。
動植物や昆虫・幼虫などを
とらないでください
旧高橋家住宅の自然環境を保護するため、みなさまのご協力をお願いします。
出典:朝霞市教育委員会
施設を利用する皆様へ
ペットは連れ込まないでください。
出典:朝霞市教育委員会
木 小 屋
燃料となる枝や薪などを保管していた建物です。
簡素な造りであり、修理前にはその形がほとんど失われていたため、残っていた部材などをもとに復原しました。
この建物は「東の木小屋」と呼ばれていました。以前は主屋の西側にも木小屋があり「西の木小屋」と呼ばれていましたが、昭和40年代に取り壊され、現在では礎石が残っているだけです。
旧高橋家住宅
国指定重要文化財 建物
指定年月日 平成13年11月14日
旧高橋家住宅は、サジキ・ヘヤ・デイ・オクノヘヤの4室および土間で構成された農家建築です。土壁で囲まれた閉鎖的な構造で、正面はシシ窓、内部に押板があるなど、17世紀頃の農家建築の特徴を持っていますが、建築年代は18世紀前期頃と推定されています。
高橋家は、江戸時代は台村に属する一般的な農家でした。このような一般的な農家建築が残されているのは、全国的にも貴重な例です。
旧高橋家住宅は、畑、雑木林などの周囲の環境が良好に残されており、武蔵野台地の農家の風景をよく伝えているところから、建造部とともに敷地についても重要文化財に指定されています。
祠(水神)
水神がまつられていた祠です。
旧高橋家住宅は、谷津(ヤツ)と呼ばれる開析谷の一番奥に位置しており、以前はこの祠の下に湧き水があったと伝えられています。そにため、この場所に水神をまつったものと思われます。
水神をまつることには水難よけの意味もありますが、農業には水が欠かせないことから、その守護を願うとともに、水の恵みへの感謝の気持ちがこめられていると考えられます。
キツネノカミソリ (狐の剃刀)
ヒガンバナ科 花期8~9月
山野に生える花茎が30~50㎝になる多年草。
葉は早春にのびだし、初夏には枯れる。
夏になって花茎がのびて黄赤色の花をつける。
和名は葉の形をカミソリにたとえたもの。
花の見ごろは7月下旬~8月中旬ごろです。
この場所は「狐の剃刀」の自生地です。
保護のため、ロープ内に立ち入らないで下さい。
出典:朝霞市教育委員会文化財課
井戸・井戸小屋
井戸では、生活用水をくみ上げていました。この井戸は枯れたことがなかったと伝えられています。
この井戸のほかに、主屋裏の崖下には湧き水があったと伝えられており、水には比較的恵まれていたようです。
井戸小屋は、倉と同じ瓦を使用していたことから、倉を建てた昭和22年以前の建築と推定されています。
室(ムロ)
収穫した野菜などを貯蔵するための施設です。朝霞市や近隣地域では、主にサツマイモを保存するのに使用していました。
地表からは人が通れる程度の縦穴をまっすぐに掘り、ある程度の深さで横穴を掘って貯蔵用の空間とします。
旧高橋家住宅には2か所のムロがありますが、内部が崩落する危険があることから、砂を充てんして保存しています。
旧高橋家住宅
国指定重要文化財 建物
指定年月日 平成13年11月14日
旧高橋家住宅は、サジキ・ヘヤ・デイ・オクノヘヤの4室および土間で構成された農家建築です。土壁で囲まれた閉鎖的な構造で、正面はシシ窓、内部に押板があるなど、17世紀頃の農家建築の特徴を持っていますが、建築年代は18世紀前期頃と推定されています。
高橋家は、江戸時代は台村に属する一般的な農家でした。このような一般的な農家建築が残されているのは、全国的にも貴重な例です。
旧高橋家住宅は、畑、雑木林などの周囲の環境が良好に残されており、武蔵野台地の農家の風景をよく伝えているところから、建造部とともに敷地についても重要文化財に指定されています。
倉
ふだんはあまり使わない大事な道具などを保管していた建物です。高橋家では、人が大勢集まる時に使う組椀や揃いの火鉢などを収納していました。
残っていた棟札と幣串に書かれている内容から、昭和22年3月に建てられたことがわかっています。
この倉が建てられる以前にも、この場所に土蔵があったと伝えられていますが、規模・構造など詳しいことはわかっていません。
旧高橋家住宅は、18世紀前半の建築と
推定される農家建築です。
創建時の部材が数多く残っており、閉鎖的な構造で、押板があるなど、古風な建築の特徴が見られます。周囲には附属屋や畑・雑木林などが展開し、武蔵野台地の農家の構成をよく伝えています。
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