かもめウオ-ク
『陽春の皇居周辺散策』 10km
旧江戸城 外桜田門
重要文化財(建造物)指定昭和36年6月7日
現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷(さくらだごう)と呼んでいたことに由来します。
外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造からなり、外桝形(そとますがた)という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。建築されたのは寛永年間(一六二四~四四)とされ、現存する門は寛文三年(一六六三)に再建された門がもとになっています。大正十二年(一九二三)の関東大震災で破損し、復元されました。
万延元年(一八六〇)三月三日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。
石室(皇居東御苑)
この場所は江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室の用途は諸説ありますが。火事などの非常の際に、大奥用の稠度などの避難場所と考えられています。
江戸城 富士見多聞櫓
「多聞」は、長屋造りの防御施設です。
江戸城には多くの多聞がありましたが、現存するのは、この富士見多聞と、伏見櫓の左右にある多聞だけになりました。現在は富士見多聞は、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火(1657年)の後、諸建物が再建された際に建てられたものと考えられます。「御休息所前多聞」とも呼ばれています。
江戸城 三ノ丸大手門
大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっております。大き方の門は、昭和20年(1945年)4月の空爆で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。
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