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お江戸えんま大王
四十四ヶ所めぐり⑧
(最終回)
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上野公園
国立西洋美術館
国立西洋美術館は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館である。独立行政法人国立美術館が運営している。本館は「ル・コルビュジエの建築作品–近代建築運動への顕著な貢献–」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京都美術館
東京都美術館は、東京都台東区上野公園8番36号にある都立美術館である。略称都美。旧称東京府美術館。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東 京 藝 術 大 学
東京藝術大学は、東京都台東区上野公園12番8号に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は藝大、東京芸大、TUA。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
護 国 院
護国院は東京都台東区上野公園にある天台宗の寺院。東叡山寛永寺最初の子院である。「東叡山寛永寺護国院」と号し、「東叡山釈迦堂」の別名がある。谷中七福神の1つである大黒天を安置する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長 久 院
地下鉄千駄木駅と根津駅と三角形を描くような位置にある長久院は、1611年(慶長16年)に神田北寺町に創建され、1648年(慶安元年)に現在の場所に移ってきた真言宗豊山派の寺院。
境内本堂手前には六十六部聖である光誉円心が1726年(享保11年)に造立した、両脇に司命、司録の侍像を伴った六十六部造立石造閻魔王坐像があることで知られ、都内に現存する六十六部聖が造立した石仏には地蔵菩薩像が圧倒的に多い中で珍しいこの閻魔像は台東区の有形文化財に指定されている。
江戸御府内八十八ヶ所霊場の五十五番札所。5月から6月にかけて、門前や境内のつつじやアジサイが美しい装いを見せ、「谷中のアジサイ寺」の愛称を持つ。
出典:JAPAN WEB MAGAZINE
谷中西光寺
新義真言宗寺院の西光寺は、佛到山無量寿院と号します。西光寺は、佐竹右京太夫義宣公(法名浄光院殿傑堂天英大居士)が開基、宥義法印(俗姓佐竹大膳太夫義篤公二男)が開山となり、神田北寺町に慶長8年(1603)創建、慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場7番です。
出典:猫の足あと
慈雲山 瑞輪寺(安産飯匙祖師)
開山の慈雲院日新上人は身延山久遠寺の第17世で、徳川家康が幼少時の学問の師であった。天正19年(1582)家康が日本橋馬喰町に寺地を寄進、大久保主水の外護により開創した。その後、神田を経て慶安2年(1649)現在地に移転した。身延山末の江戸触頭三ヶ寺の一で、かつては塔頭15ヶ寺を数えたという。平成18年(2006)本山(由緒寺院)に昇格。祖師像は「安産飯匙の祖師」と称し、厄除・安産救護の霊験で信仰を集める。
出典:古今御朱印研究室
谷 中 霊 園
谷中霊園は、東京都台東区谷中七丁目にある都立霊園。旧称の谷中墓地と呼ばれることも多い。面積は約10万平方メートル、およそ7,000基の墓がある。徳川家15代将軍慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一などが眠る。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
護国山天王寺
天王寺は、東京都台東区谷中にある、天台宗の寺院。正式名称は「護国山尊重院天王寺」である
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷中霊園 案内図
石造金剛力士立像(赤紙仁王)
石造金剛力士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。
寛永18(1641)年8月21日、東覚寺住職賢盛の時代に、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病を鎮めるために造立されたとつたえられます。
赤紙仁王は、江戸時代の末期までは、田端村の鎮守である八幡神社の社前にありましたが、明治維新の神仏分離を契機に、別当寺であった東覚寺の境内に移され、以後、都内に現存する比較的古い時代の石造の仁王像としても広く知られています。
出典:北区飛鳥山博物館
赤紙仁王尊 阿像
石仏仁王の背銘に「施主道如宗海上人東岳寺賢盛代、寛永一八辛巳天八月廿一日」と刻まれている。
西暦一六四一年より露仏で立っていることになる。
仁王には、本来清浄な寺院の境内を悪から守る金剛力士として山門の両側に立ち、仏法僧の三宝を守護するものであるが、赤紙仁王は当時江戸市中に流行していた疫病を静めるため宗海上人が願主となって建立されたもので、いつのころからか赤紙(悪魔を焼除する火の色)自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代りと心身安穏を願うようになった。
右の阿像は口を大きく開けて息を吸い込んでいる状態即ち「動」を表し、左の吽像は口をしっかりと結んで息を止めている状態即ち「静」を表している。
阿吽の姿は密教で説く胎臓界、金剛界の二界を表し、又宇宙一切のものの始めと終わりを表している。阿像から吽像へと祈願し、満願のあかつきにはお礼として草鞋を奉納する。
祈願者、病人を見舞うため日夜歩かれるのでさぞかし草鞋が必要であろうという思いやりからである。
出典:白龍山 寿命院 東覚寺山主
白龍山東覚寺
真言宗豊山派寺院の東覚寺は、白龍山寿命院と号します。東覚寺は、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。御府内八十八ヶ所霊場66番札所、豊島八十八ヶ所霊場66番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場29番札所、谷中七福神の福禄寿です。
出典:猫の足あと
田端公園掲示板
大 瀧 寺
大龍寺の創建は明らかではありませんが、慶長年間(1596-1615)に不動院浄仙寺が荒廃していたのを、天明年間(1781-1789)になって湯島霊雲寺光海の高足光顕が中興して、大龍寺と改称したと伝えられています。
本堂わきの墓地には、俳人・正岡子規、宮廷音楽家・E・H・ハウス、陶芸家・板谷波山、柔道の横山作次郎などの著名人が永遠の眠りについています。
正岡子規は、「静かな寺に葬って欲しい」と、日頃から弟子に話しており、武蔵野台地の端にあり、林に囲まれて静かなこの寺が選ばれたそうです。
お墓は大きくはありませんが、横に自撰の碑文があり、松山藩士の子であることや、陸羯南の日本新聞から貰っていた月給が三十円であったことまで書かれています。竹ノ里人の号に因んで植えたのか、墓の後ろには竹が茂っています。
平成元年三月
出典:北区教育委員会
浄土宗 光明山 照徳院 圎勝寺
浄土宗寺院の円勝寺は、光明山照徳院と号します。円勝寺は、僧信阿聖法(弘安9年1286年寂)が開山、戦国時代末期には曲輪内龍ノ口付近にあったといいます。
出典:猫の足あと
妙 行 寺
法華宗陣門流の妙行寺は、長徳山と号します。妙行寺は、丸山本妙寺の妙音院日慶上人が寛永元年(1624)赤坂に創建、江戸期には四谷鮫ヶ橋南町にあったといいます。東京府による市区改正事業のため明治40年当地へ移転しました。
境内には、四谷怪談のお岩さんの墓所、浅野家遥泉院供養塔の他、うなぎ供養塔、魚がし供養塔、浄行様があります。
出典:猫の足あと
善 養 寺
善養寺は、東京都豊島区にある天台宗の寺院。天長年間、慈覚大師円仁によって開山されたといわれている。 江戸時代は、今の上野駅・鶯谷駅間の山手線等の線路上に位置していた。明治以降は「下谷善養寺町」と地名になるほどであったが、鉄道建設のために1912年に現在地に移転した。 本堂には、閻魔大王が鎮座している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
善 養 寺
善養寺は、天長年間(824-833)に開基である慈覚大師が上野山内に創立したと伝えられる天台宗の寺院で、正式には薬王山延寿院善養寺という。東叡山寛永寺の末寺で、本尊は薬師如来像である。
江戸時代の寛文年間(1661-72)に下谷坂本(後の下谷区善養寺町、元台東区上野公園)に移転した後、境内地が鉄道用地の拡張にかかるといいうことで、明治45年に北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字庚申塚347番地(現在地)へ移転し、現在に至っている。
本堂には高さ約3メートルの木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、広く信仰を集めていることから「おえんまさまの寺」とも呼ばれ、また、杉並区松ノ木3丁目に所在する華徳院、新宿区新宿2丁目に所在する太宗寺とともに、江戸三閻魔の一つとしても親しまれてきた。
境内には、寛永6年(1629)造立の石燈籠をはじめ、延宝8年(1788)の宝篋印塔、また江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓(東京都指定旧跡)やフランスでジュリオ・キュリー教授(キュリー夫人の娘婿)の指導を受けた原子物理学者湯浅年子の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。
平成十四年三月
出典:東京都豊島区教育委員会
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いたばしの史跡観光案内
板橋十景
板橋十景は、区政施工70周年を記念して、平成15年2月、板橋ならではの自然景観、都市景観、名所・旧跡、イベントを「板橋十景」として選定いたしました。これは、区民の皆さんから、“板橋らしさ”を感じさせる心に残る風景や風物、感動や安らぎを与えるものを募集し、その中から、区民公募の委員、有識者などで構成した選定委員会で、「板橋十景」として選んだものです。
皆さんも「板橋十景」めぐりをしてみませんか。
板橋七福神
この七福神は熊野神社前に住み、彫金と呼ばれていた彫刻師、田中金太郎さんが製作し、昭和12年頃各寺に寄進したものと言われています。いずれも高さ25㎝程度、白木造りの素朴な感じのする福の神です。
毎年1月初旬に各寺で開帳されますので、七福神めぐりをしてみてはいかがでしょうか。
文 殊 院
江戸時代前期、延命地蔵を祀るお堂を寺院としたと伝えられている真言宗寺院です。本尊の文珠菩薩坐像は寛文年間(1661~1673)の作と伝えられています。板橋宿本陣を勤めた飯田家の菩提寺で、墓地には、飯田静の墓や宿場の飯盛旅籠の一つ「大盛川」の墓などがあります。
出典:板橋区
閻魔大王(文殊院)
名刹。
寛永2(1625)年、大名の旅籠だった板橋宿本陣の菩提寺として開山。「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊様を祀る、板橋区の登録有形文化財です。閻魔堂には板橋二大閻魔のひとつ「閻魔大王」が鎮座。2011年12月に修復を終え新たな御尊顔でにらみをきかせています。またこちらは四国八十八箇所巡りができてしまうありがたいお寺。敷石にはそれぞれのお寺の砂が入っており、その上を歩くことで「お砂踏み巡礼」ができるのです。
出典:TV TOKYO Corporation
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