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第18回 日比谷街角ウォーク
“街角に楽しさを探して”
東京都ウオーキング協会
千代田区 総合防災案内板
日比谷公園 水飲み
この水飲みは、日比谷公園開設当時(昭和36年)のものです。
鋳鉄製で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。
また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。
日比谷公園
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シダレヤナギ
シダレヤナギ(枝垂柳、学名:Salixbabylonica)は、ヤナギ科の落葉高木である。
ソース: シダレヤナギ – https://ja.wikipedia.org
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サクラ
陽 光
陽光。アマギヨシノとカンヒザクラの交配品種。花は淡い紅紫。色の一重咲で、大輪です。
バラ科
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湯島天満宮
古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った婦系図の歌(湯島の白梅)(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)は戦中時の歌として大ヒットした。
境内の約300本の梅木のうち約8割は白梅である。
ソース: 湯島天満宮 – https://ja.wikipedia.org
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安田講堂(東京大学大講堂)
安田講堂は、東京大学本郷地区キャンパスにある講堂である。正式には東京大学大講堂(とうきょうだいがくだいこうどう)というが、東大の学内では「安田講堂」が用いられる。収容人数は1,144席(3階席・728席 / 4階席・416席)。
ソース: 安田講堂 – https://ja.wikipedia.org
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玉藻磯・出汐湊・妹与背山
(妹山・背山)
作庭当時、柳沢吉保が住む六義館はこの後方にありました。館の
正面であるここからの眺めが庭園の主景観の1つと考えられます。左から妹与背山(妹山・背山)、田鶴橋、出汐湊と並ぶ風景は、六義園のモデルになったといわれる紀州(和歌山県)の和歌の浦の地形にとても良く似ています。神亀元年(724)の聖武天皇の行幸の際、同行した山部赤人が詠んだ和歌「和歌の浦に 塩満ちれば 潟をなみ 蘆辺をさして たづ鳴き渡る」を具現化したものと言えるでしょう。
六義園絵巻 上巻(部分) 柳沢文庫所蔵
六義園を作った柳沢吉保は、園内に万葉集などの和歌や中国の古典にちなんだ名所を八十八箇所設け、「八十八境」としてその由来を「六義園記」に記しました。その八十八境を中心に庭園を狩野派の絵師に描かせたのが「六義園絵巻」(上・中・下巻)です。このパネルでは、絵巻を園内の描かれた名所の位置で展示しています。(六義園は明治時代に三菱グループの創設者、岩崎家の所有となり、その後昭和13年に東京市に寄付されました。)
絵巻には右から順に「玉藻磯」「出汐湊」「妹与背山」とあります。玉藻磯と、出汐湊はゆったりとした浜辺という雰囲気ですが、妹与背山は、松の木が屹立する荒々しい岩山として描かれています。
六義園が岩崎家の別邸だったころ、日露戦争の祝勝会が開かれたことがあります。写真は、その様子を記録した写真集「日露戦争凱旋写真帖 海軍」(明治38年)のものです。
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出汐湊 六義園八十八境 十三 和歌の浦に 月の出汐の さすままに よるなくたづの こゑぞさびしき 『六義園記』
出汐湊
六義園八十八境 十三
和歌の浦に 月の出汐の さすままに
よるなくたづの こゑぞさびしき
『六義園記』
「出汐」とは、船が湊(港)に入るために満潮を待っていることですが、夕方になり月が海上に出るのを持つ心も懸けています。
桂離宮など日本庭園では「月」が大切にされてきましたが、六義園でも月に由来する地名が多くあります。
また、後方にある白い建物は岩崎家に由来する蔵です。
かつては付近に岩崎家の邸があり、庭園を眺める重要な視点場となっていたようです。ここからは視界にビルがない庭園を楽しむことができます。
六義園 しだれ桜
東京都 昭和30年代
「シダレザクラ」は、「エドヒガン」という桜の品種の中で、枝が柔らかいために垂れながら成長していく種類のものです。
「ソメイヨシノ」より少し早く、お彼岸のころに咲きますが、4月に入ってから満開になる年もあります。
昭和30年代に、東京都によって植栽されたもので、樹齢は70年程度ですが、高さ約15m、幅約20mと大きく、形もよく成長しています。
薄紅色の花が満開になると、あたかも水しぶきを上げて流れ落ちる滝のような姿になり圧巻です。
「六義園のしだれ桜」として親しまれ、多いときには一日で3万人以上のお客様にご覧いただいております。
六義園の評判は作庭当時から高かったようですが、和歌の世界に憧れ、また皇室を尊んでいた吉保は、さらに狩野派の絵師に描かせた本園の絵図を霊元上皇に献上しました。
完成して四年後の宝永3年(1706)10月には、これに対して霊元上皇が六義園の景勝地「十二境八景」を選び、加えて延臣達に命じて和歌を詠ませた巻物が吉保に下賜されました。
一幕臣の屋敷の庭園に上皇を通じて和歌が贈られるのは極めて希なことでした。
これほど名園として名高かった六義園も、やはり六義園を愛した三代信鴻が寛永4年(1792)に亡くなって以降は荒廃の一途をたどっていましたが、文化6年(1809)、四代保光が約1年の月日と多大な費用を投じて復旧工事を行い、一部新たな景勝を加え甦ることになったのです。その経緯について「六義園八景」と併せてこの「新脩六義園碑」に記されています。
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