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6月26日
イヤーラウンドコースをあるこう
in狭山(79)13km
NPO法人 埼玉県ウオーキング協会
(SWA)
天満天神社(入間川)
天満天神社(入間川)は、狭山市入間川にある天満天神社(入間川)です。天満天神社(入間川)は、江戸期に木材物流で栄えた当地の商家が学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したといいます。
出典:猫の足あと
狭山市指定無形民俗文化財
お諏訪さまのなすとっかえ
所 在 地 狭山市入間4-4483
指定年月日 平成9年6月2日
諏訪神社は、長野県の諏訪大社を分祀したもので、祭神は「建御名方神」です。
なすとっかえは、自分の畑で採れたナスを神社に納める代りに、神前に供えてあるナスを戴いて帰るもので、毎年8月の第四土曜・日曜に行われる神事です。その由来には次の伝説が残されています。
昔、諏訪神社の裏に底なし沼があったころ、ある日村人達がそこを通りかかると、沼から水しぶきがたち、龍神が暴れ始めました。驚いた村人達は、持っていた鎌や鍬と一緒に、採ったばかりのナスが入った籠を投げ出して逃げて帰りました。これを聞いた村の若者達が駆けつけてみたところ、空っぽになった籠が浮かんでいるだけで、沼はすでに元の静けさをとり戻していました。しばらく後、村人の夢枕に龍神が現れこう言いました。「私はあの沼に住む龍神だが、騒がせて悪かった。実は夏病に苦しめられていたのだが、投げられたナスを食べたところ病がすっかり治った。これからは諏訪の大神に支え、村のために尽くすつもりだ。」
こうして夏病にナスが効くことを知った村人たちは、神前にナスを供え、代わりに龍神からナスをいただき、夏病を避けたといわれています。
出典:狭 山 市 教育委員会
出典:狭山市文化財保護審議会
入 間 川
入間川は、埼玉県を流れる荒川水系の一級河川である。上流部は名栗川(なぐりがわ)とも呼ばれる。荒川の支流としては最長である。江戸時代の頃は、江戸の市中まで通じる、大事な船の交通路だった。
ソース: 入間川 (埼玉県) – https://ja.wikipedia.org
広瀬神社(狭山市)
広瀬神社は埼玉県狭山市広瀬にある神社である。式内社で、旧社格は県社。
祭神
主祭神は若宇加能売命。相殿神として神火産霊命・木花咲耶姫命・八衢比古命・八衢比売命・久那斗命の5柱を祀る。
若宇加能売命・神火産霊命は、この神社の本社とされている大和国の廣瀬大社の祭神である。廣瀬大社側の伝承によると、若宇加能売命は豊宇気比売大神・宇加之御魂神と同神という。一方、神火産霊命は火の神・カグツチの別名であり、廣瀬大社側の「穂雷命」に相当する。
この他の神々は明治40年(1907年)の神社合祀の際、愛宕神社と浅間神社を合祀した際に祭神となったものである。木花咲耶姫命が旧浅間神社、八衢比古命・八衢比売命・久那斗命が旧愛宕神社の祭神である。八衢比古命は猿田彦命、八衢比売命は天宇受売命と同一神であり、久那斗命は神格不明であるが災いを遮る神とされ、道祖神として信仰されていたものであった。
ただし『新編武蔵風土記稿』によれば、江戸時代には祭神が「白髭明神」とされていたことが分かっている。元の祭神と全く異なるが、これは「白髭明神」の別名を持つ高麗神社を祀っていた高麗氏の菩提寺・聖天院の末寺が別当寺であったことが影響していると考えられている。
歴史
創建は、社伝によれば景行天皇代に日本武尊が東征の折、この地を通りかかった際、この地が大和国広瀬郡川合(現在の奈良県北葛城郡河合町)に似ているとして、その地に祀られていた廣瀬大社の神々を分祀し、武運長久と五穀豊穣を願ったことによる。
これを信ずれば当神社は廣瀬大社の分社ということになるが、日本武尊自身が伝説的人物である上、廣瀬大社にも武蔵国に分祀を行ったという記録は残されておらず、分社であるとは認めがたい。現在では「広瀬」の社号は廣瀬大社に由来するものではなく、この地が川の合流点に位置し広く瀬が広がっているから「広瀬」という自然地名からついたもので、偶然の一致であるとされる。
しかし入間郡内でも有力な古社であったのは事実で、六国史である『日本文徳天皇実録』の嘉祥3年(850年)6月3日條に「詔以武藏國廣瀬神。常陸國鴨大神御子神主玉神。並列於官社」として、官社に列せられたことが記されている。
またそれから約80年後の延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳では、そのまま「廣瀬神社」の名で武蔵国入間郡五座の一座に列せられている。
江戸時代には新義真言宗の寺であった宝蔵寺(現在は廃寺)が別当寺となり、上広瀬村・下広瀬村の鎮守となった。なお、文政6年(1823年)11月に宝蔵寺の火災の延焼により古文書を焼失している。
明治6年(1873年)に郷社に列せられたが、社格が低すぎるとして当神社の神官であり名主→戸長であった清水宗徳が社格を上げるよう運動し、翌7年(1874年)に県社へ昇格した。また同時期に境内に「幼育学校」を創立、神官の育成に努めてもいる。
明治40年(1907年)に愛宕神社・浅間神社を合祀。また2年後の明治42年(1909年)には境内北隅にあった本殿を中央に移し、拝殿を新築した。現在の建物は昭和50年(1975年)に改築修繕されたものである。
ソース: 広瀬神社 (狭山市) – https://ja.wikipedia.org
廣 瀬 神 社 略 記
創 立 「大和時代の景行天皇(第十二代)の御代、日本武尊命東国平定の折、当地が大和の国河合の地に酷似せりと称し親から幣帛を奉り、(大和の国の)廣瀬の神を斎き祀りて、武運長久国家安穏を祈誓せられしより創始せり」との社伝があり、創立は、三世紀頃に遡る。
由 緒 「狭山市の社寺誌」(市教育委員会刊行)において、「当社は、大和朝廷より勅命により官社に列せられた数少ない神社であり、由緒正しく、当時すでに関東において格の高い名神としてあがめられていた・・。狭山市の神社の中で最も古く、格式高い神社である」と、記述されている。主たる記録は次のとおり。
(官社)『文徳天皇実録』の嘉承3年(西暦850年)6月3日の条に「武蔵の国廣瀬の神を官社に列す」との記述あり。
(延喜式内社)延長5年(西暦927年)に編纂された『延喜式神名帳』に「武蔵国四十四座 入間郡五座の内一つ 廣瀬神社、と登載されている。
(県社)明治6年郷社、同7年県社に列せられた。
御祭神 (主祭神)若宇迦能売命
(相殿神)八衢比古命 八衢比売命 久那斗命
御神徳 主祭神は、水の守りであり、風雨の調和による穏やかな世
の中、豊かな実りを守る神である。
五穀豊穣、家内安全、健康長寿の御新徳がある。
相殿神の三神はいずれも禍を防ぐ神である。除災招福や交
通安全、疫病退散などの御神徳がある。
(御本社に当たる廣瀬大社(奈良県河合町)
の御記略においては、「主祭神(若宇迦能売
命は、水の守り神である。天武天皇以降歴
代の天皇より、風雨の調和、年穀の豊穣等
を御祈願され、国家の瑞祥、または禍害あ
ることに、奉告御祈願された。」と記されて
いる。)
祭 事 大祭 春季 4月第1土・日曜日 秋季(神輿渡御)10月
第3土・日曜日
中祭 元旦祭 1月1日 祈年祭 2月11日 新嘗祭11
月23日
小祭 月次祭 毎月1日・15日※大祓式 6月30日・12
月31日
宝 物 崇光天皇御宸翰 一軸 豊後住人増定秀太刀 一振 御正
体(御鏡懸仏) 一枚
備前長船住人祐定太刀 一振り 槍 鎌倉鍛治山村鋼広作 一点
文化財 埼玉県指定天然記念物 大欅二本(御神木)
一号木 周囲(根廻り12m・目通り6.3m)、高さ
28m
二号本 周囲(根廻り10.5m・目通り6.5m、高さ31m
狭山市指定文化財(工芸品)神輿一基
狭山市指定無形民族文化財 広瀬囃子
末社(境内社)杉森稲荷社 (祭神)保食命、猿田彦命、大宮廼売
命
八幡神社 (祭神)応神天皇
霞神社 (祭神)大国主命、少彦命之命、神霊
117柱
社容整備 明治42年、本殿及び拝殿を境内北隅から現在地に遷宮。大正9年、本殿覆殿再築。
昭和7年、神楽殿を改築。昭和15年、紀元2600年記念事業として太鼓楼を新築。昭和43年、明治100年記念事業として社務所建築。昭和55年社容整備(外柵、玉垣、欇末社等の改築修繕等)。平成8年大欅樹勢回復事業。平成18年、拝殿改修、向拝増築。平成21年鳥居再築。
出典:延喜式内 廣瀬神社
(平成23年 氏子)
狭山市指定文化財 工芸品
神 輿
所在地 狭山市広瀬2丁目23番1号
指定年月日昭和61年(1977)11月1日
この神輿は、今からおよそ140年前の元治元年(1864)に当所の名主・清水寛右衛門宗宝により奉納されたもので、作者は当所の大工・横田長太夫です。
宝形造りで、全面黒漆塗り、四方の鳥居と垣及び内部は全面朱漆塗です。
壁面の一部は浮き彫りで、金箔押しとなっています。下框や屋根の頂など随所に透かし彫りや毛彫りによる金銅板の金具がとりつけられています。
四方の垂木下には金銅板の飾り板と小さな円鏡数10個が玻璃の玉を通した金糸で綴られ、垂れ飾りとなっており、格調が高く豪華絢爛な神輿です。
神輿並びに神輿殿建立の棟札があり、その中に次の墨書きがあります。
武刕高麗郡上廣瀬巴
別當 名主
社補 清水寛右衛門宗宝
元治期限甲子稔秋九月
大工 當所 横田長太夫
平成20年㋂
出典:狭山市教育委員会
出典:狭山市文化財保護審議会
廣瀬神社神輿庫
この神輿は、今からおよそ百四十年前の元治元年(1864)に当所の名主・清水寛右衛門宗宝により奉納されたもので、作者は当所の大工・横田長太夫です。
宝形造りで、全面黒漆塗り、四方の鳥居と垣及び内部は全面主漆塗りです。壁面の一部は浮き彫りで、金箔押しとなっています。下框や屋根の頂など随所に透かし彫りや毛彫りによる金銅板の金具がとりつけられています。
四方の垂木下には金銅板の飾り板と小さな円鏡数十個が玻璃の玉を通した金糸で綴られ、垂れ飾りとなっており、拡調が高く豪華絢爛な神輿です。
神輿並びに神輿殿建立の棟札があり、その中に次の墨書きがあります。
武刕高麗郡上廣瀬巴
別當 名主
社補 清水寛右衛門宗宝
元治期限甲子稔秋九月
大工 當所 横田長太夫
埼玉縣入間郡水富村大字上廣瀬鎮座
延喜式内 廣 瀬 神 社
埼玉県指定文化財 天然記念物
廣瀬神社の大ケヤキ
所 在 地 狭山市廣瀬2-23-1(廣瀬神社)
指定年月日 平成10年(1998)3月17日
ケヤキは楡科の落葉高木です。農家では防風林として植えることが多く、武蔵野の景観にとけこんでいる馴染みの木です。普通、高さは20mぐらいまでですが、この大ケヤキは高さ約30m、周囲約6mというまれに見る巨木で、樹齢7~800年と推定されます。
江戸時代末期の書物『新編式武蔵風土記稿』の廣瀬神社の項に「・・・社辺に竹樹生茂り中にも古木の大槻三株あり、是を神とす、一は囲二丈、一は囲一丈五尺、一は囲二丈六尺余なり、是等を見て旧跡たることしるべし・・・」とあります。
現在はケヤキの巨木二本が相対して境内に立っております。
平成16年1月
出典:埼玉県教育委員会
出典:狭山市教育委員会
河川における行為の規制
1.河川区域で土地の堀削、盛土、その他土地の形状を変更するには許可が必要です。
2.土石、廃棄物等を捨てたりすることは禁止されています。
※上記事項に違反した場合は河川法により罰せられます。
出典:埼玉県川越土木事務所
埼玉県西部環境管理事務所
狭 山 警 察 署
狭 山 市 役 所
農林水産省・埼玉県補助事業
農業用河川工作物応急対策事業
地区名 笹井(入間市・狭山市)
事業主体 入間第二用水土地改良区
概 要 受益面積 248ha
堰体巻立工 L=212m
後期 昭和55~60年度
笹井堰 河川占有標識
許可年月日 | 平成26年㋂3日 | 許可番号 | 川整第3-536号 |
占用期間 | ㍻26年㋃㏠から ㍻36年㋂㏾まで | 占用面積 | 10,490,63㎡ |
占用目的 | かんがい用水取水堰及び附帯施設設置 |
名称又は 種類 | 笹井堰 (堰体、護岸、根個、樋管、魚道、水路等) |
許可受入 住所・氏名 | 埼玉県飯能市大字双柳353番地 入間第二用水土地改良区理事長 |
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