4月度ちよだ皇居周辺
リフレッシュウオーク2019
重要文化財 旧江戸城 清水門
昭和36年6月7日指定
江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。
天成18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。
清水門は、北の丸北東部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現存の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から万治元年(1658)に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は、時期は不明ながら撤去されていたものを昭和36~41年度の修理で復旧整備したものである。清水門は、建立年代の判明する江戸城の遺構として高い価値を有しており、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残している。
吉 田 茂 像
古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉
昭和五十六年九月
舟越保武 作
安岡正篤 文
桑原翠邦 書
ヤエベニトラノオ
(八重紅虎の尾)
花 期 遅咲き
花 八重咲き、淡紅
北の丸公園露場
ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測します。
このような気象観測を行う場所を露場と呼びます。
重要な気象観測を行っていますので、許可なくこの中に入らないで下さい。
出典:東京管区気象台
タイワンホトトギス
台湾杜鵑草
Tricyrtis
ユリ科 ホトトギス属
分布
台湾、沖縄本島、西表島
ガイドマップ
東京学生会館 跡地(元近衛兵舎)
1946年(昭和21年)5月から1966年(同41年)11月20日までの20年間、現在の北の丸公園「中の池」の北西に、東京学生会館という学寮があった。旧代官町で、田安門、武道館前を過ぎ、千鳥ヶ淵の手前である。定員620名、都内各大学の男子学生が居住、文部省の外郭団体・財団法人学徒後援会(学生アルバイト斡旋事業も遂行)が管轄していた。
戦後、戦地から帰還した学生たちが、旧近衛連隊兵舎に住み着いて「ここを学寮に」と政府に働きかけ、東京学生会館として認められた。以来、学生自治寮として運営、3,000名を超える学生たちが巣立っている。
1965年(昭和40年)5月、「貧困学生救済の役割は終わった」という政府方針で、新宿区下落合に新築移転、存続を希望する学生はここに残ったが、翌年11月20日、取り壊された。
―裏面、OBの「明日への伝言」
(近衛連隊兵舎は明治7年建設でレンガ造り二階建て、現存すれば貴重な文化財である)
左右の建物が学生会館、中央は学徒援護会
館生OBの追憶画 北の丸公園略図
国立公文書館
独立行政法人国立公文書館は、歴史資料として重要な公文書等の適切な保存・利用を図ることを目的として設置された日本の独立行政法人。 内閣府が所管し、行政執行法人であるため、職員の身分は国家公務員である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毎日新聞社
株式会社毎日新聞社は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。本社は東京都千代田区にある。
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竹 橋
徳川氏の関東入国以前にすでに存在していた。
竹橋の名は、竹を編んで渡した橋だったからとも、また後北条家の家臣・在竹四郎が近在に居住しており「在竹橋」と呼んだのが変じたものとも言われる。
「別本慶長江戸図」には『御内方通行橋』と記してあり、主として大奥への通路に用いられたようである。
明治時代には、橋西詰に近衛砲兵大隊竹橋部隊があった。1878年(明治11年)8月23日、西南戦争後の処遇を巡って、同部隊の兵士らが武装蜂起する騒乱が起きた(竹橋事件)。
現在では、皇居の水堀と神田オフィス街や首都高速道路・竹橋ジャンクションとに囲まれている。
内堀通り竹橋交差点と千鳥ヶ淵交差点を結ぶ公道(代官町通り)の一部をなしており、橋の両詰に毎日新聞東京本社、丸紅ビルヂング、東京国立近代美術館を擁している。代官町通りは自動車の往来が激しい。東京地下鉄(東京メトロ)東西線の竹橋駅が橋東詰にある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江戸城 帯曲輪門(不浄門)
城内の糞尿等の汚物や死体を出すための門と言われますが、古地図を見ると変化があり、平川門が不浄門の役割を果たしていた説もあります。
平 川 門
大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。また、城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたといわれています。小さな脇門は、平川豪の中に伸びた、「帯曲輪」と呼ばれる細長い渡り堤につながっています。
皇居東御苑と天皇皇后両陛下
① ヒレナガニシキゴイ | ② 二の丸池 |
天皇陛下のご発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれたものです。平成3年(1991)と平成24年(2012)に、両陛下が御放流になりました。 | 都市化が進むにつれて池や沼が埋められ、かつては普通に見られた水生植物を見る機会が少なくなりました。ここには、ヒツジグサや御所の池から移植したコウホネなど4種類の水生植物が植えられています。 |
③ 新雑木林 | ④ はるかのひまわり |
平成14年(2002)に雑木林を拡張しました。小さな流れを作り、野鳥や昆虫の好む木を植え、御所近くから季節毎に楽しめる様々な野鳥を移植しました。 | 大震災で亡くなったはるかという名前の神戸の小学生の家の跡 に、人々を勇気づけるように咲いたことからそうよばれるようになったひまわりを全国に広げる活動の中で、両陛下にも種が献上され、御所で毎年大切にお育てになっています。そこで採れた種から育てているものです。 |
⑤ 竹林 | ⑥ ヨーロッパアカマツ |
「お印」の「若竹」にちなみ、昭和天皇の御所にはいろいろな竹が植えられていました。珍しい竹を多くの人が見られるようにとの天皇陛下のお考えで、平成8年(1996)にそこから13種類の竹を移植しました。 | 平成20年(2008)に国賓として来日されたスペイン国国王王妃両陛下から天皇皇后両陛下に贈られたものです。両陛下がお手植えになりました。 |
⑦ バラ園 | ⑧ フローレンス・ナイチンゲール |
日本や中国の野生のバラが植えられています。多くは御所近くのお庭から移植したものです。 | フローレンス・ナイチンゲール国際基金発足75周年を記念して作られたバラが献上され、両陛下が平成21年(2009)にお手植えになりました。 |
⑨ 果術古品種園 | |
江戸時代にはよく作られていたものの、品種改良が進んだために、今ではほとんどが顧みられなくなった果樹を集めました。平成20年(2008)から植えられ、両陛下もお手植えになりました。 |
皇居東御苑入園者の皆様へ
一 公開時間
1.3月1日~4月14日 午前9時~午後4時30分
2.4月15日~ 午前9時~午後5時
3.9月1日~10月末日 午前9時~午後4時30分
4.11月1日~翌年2月末日 午前9時~午後4時
5.入園は、公開終了時間のそれぞれ30分前まで
二 休園日
1.月曜日(月曜日が休日の場合は、その翌日)及び金曜日
2.12月28日~翌年1月3日
3.行事の実施、その他やむを得ない理由のため支障のある日
三 出入門
大手門、平川門及び北桔橋門
四 入園票
入園する際、入園票の交付を受け、退園の際、お返しください。
五 入園料
無料
六 次のような方は、入園をお断りします。
1.でい酔者
2.動物(身体障害者補助犬を除く)を連行する者
3.酒類及び危険物を持ち込もうとする者
4.自転車等乗り物(車いす及びベビーカーを除く)を持ち込もうとする者
5.その他御苑管理上支障があると認められる者
七 御苑内においては、次に揚げる行為を禁止します。
1.運動競技をすること。
2.植物を採取し、又は損傷すること。
3.鳥獣魚類を捕獲し、又は殺傷すること。
4.集会又は示威運動をすること。
5.興行をすること。
6.物を販売し、又は頒布すること。
7.募金をすること。
8.業として写真又は映画を撮影すること。
9.施設その他の物件を損傷し、又は移動すること。
10. 土地の形質を変更し、又は土石の類を採取すること。
11. たき火、花火、喫煙場所以外の喫煙等火災の危険がある行為をすること。
12. はり紙又は広告等の掲示をすること。
13. 指定以外の場所にごみその他の汚物、廃物等を捨て、又は放置すること。
14. 堀、池その他立入りを禁じた場所にはいること。
15. 騒音を発生すること。
16. 飲酒をすること。
17. その他御苑内の秩序又は風紀をみだす行為等御苑管理上支障があると認められる行為をすること。
右に揚げる行為をした場合は、退園を命ずることがあります。
注 その他不明な点は、皇居東御苑管理事務所へお問い合わせください。
出典:宮内庁
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑のみどころ
大番所 | 松の大廊下跡 | |
富士見櫓 | 石室 | |
富士見多聞 | 展望台 | |
天守台 | 北詰橋門(出入門) | |
桃華楽堂 | 中之門跡 | |
中雀門跡 | ||
本 丸 | ||
野草の鳥 | バラ園 | |
果樹古品種園(東・西) | 桜の島 | |
竹林 | 本丸大芝生 | |
ツバキ園 | ||
汐見坂 | 白鳥濠 | |
諏訪の茶屋 | 平川門(出入門) | |
同心番所 | 百人番所 | |
二の丸 | 二の丸雑木林 | 新雑木林 |
梅林坂 | 菖蒲田 | |
二の丸庭園 | 都道府県の木 | |
三の丸 | 三ノ丸尚蔵館 | 大手門(出入口) |
苑内ご案内
最寄りの交通機関等への所要時間
●北詰橋門から
地下鉄東西線竹芝駅まで 約400m(徒歩約5分)
地下鉄九段下駅まで 約900m(徒歩約15~20分)
●大手門から
地下鉄千代田線二重橋駅まで 約700m(徒歩約10分)
JR東京駅まで 約1000m(徒歩約15分)
地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。
皇居外苑 約600m(徒歩約10分)
●平川門から
地下鉄東西線竹橋駅まで 約200m(徒歩約5分)
JR東京駅まで 約1600m(徒歩約25分)
地下鉄各線の大手町駅は、その手前にあります。
沖縄県 マツ科
りゅうきゅうまつ
大分県 バラ科
ぶんごうめ
宮崎県 ヤシ科
フェニックス
香川県 モクセイ科
オリーブ
二の丸雑木林
昭和天皇のご発意により、失われていく雑木林を再現しようと、昭和58年から60年(1985)にかけて造成されました。造成にあたっては、東京近郊の開発予定地にあった雑木林の表土を移したため、植物の種子や根、昆虫の卵、土の中の生物も一緒に運ばれ、早期に再生することができました。平成14年(2002)から雑木林としての管理を進め、大きくなりすぎた樹木を間引き、萌芽更新を行うとともに、林床の下草を刈って野草が生育できる環境を維持しています。
主な野草
春
タチツボスミレ スミレ科 | チゴユリ ユリ科 |
花期:㋂下旬~㋃中旬 花は普通淡柴色だが変化が多く、唇弁に紫のすじがある。 | 花期:㋃中旬~㋄上旬 茎の先に白い花を1~2個垂らしてつける。 |
キンラン ラン科 | ギンラン ラン科 |
花期:㋃中旬~㋄上旬 茎の先が黄色い花を⒑個ほどつけ、花は平開しない。 | 花期:㋃下旬~㋄上旬 茎は先に白色の花を3~5個つけ、花は平開しない。 |
夏
オカトラノオ サクラソウ科 | オオバギボウシ ユリ科 | キツネノカミソリ ヒガンバナ科 |
花期:㋅上旬~㋆上旬 花穂の一方にかたよって白色の花を多数つける。 | 花期:㋅下旬~㋆下旬 花茎に淡紫色または白色の花を多数開く。 | 花期:㋆下旬~㋇下旬 葉が夏に枯れ、その後に花茎をだし、黄赤色の花が3~5個咲く。 |
秋
ノコンギク キク科 | カシワバハグマ キク科 | キバナアキギリ シソ科 |
花期:㋈上旬~㋊中旬 淡い青紫色の花が茎の先に多数つく。 | 花期:㋈中旬~㋉下旬 茎の上部に白っぽい頭花を穂状につける。 | 花期:㋈下旬~㋉上旬 茎の先の花穂に黄色の唇形花が段になってつく。 |
スミレ科
タチツボスミレ
スミレ科
タチツボスミレ
バラ科
ウラジロノキ
ツツジ科
ヤマツツジ
諏訪の茶屋(皇居東御苑)
皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の時に創建されています。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にありましたが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築されました。建物は、明治45年に再建されたもので茶室としての利用はできません。
出典:東京とりっぷ
二の丸庭園(皇居東御苑)
江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿が建てられ東側に庭園を配置しました。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものです。
出典:東京とりっぷ
諏訪の茶屋(皇居東御苑)
皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の時に創建されています。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にありましたが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築されました。建物は、明治45年に再建されたもので茶室としての利用はできません。
出典:東京とりっぷ
諏 訪 の 茶 屋
諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、皇居内の吹上地区に建てられたものです。
その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。
昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。
汐 見 坂
徳川家康による江戸城築城の頃は、この場所の近くにまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができたことから「汐見坂」の名が付いたといわれています。
この坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂上には、汐見坂門が設けられています。
大 奥 跡
徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿ですが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥(おおおく)。将軍の正室、子女や、奥女中(御殿女中)の居住空間だった場所で、映画やドラマにも描かれています。現在は皇居東御苑の一部で、残念ながら往時を偲ぶものはありません。
出典:東京とりっぷ
皇居東御苑 案内図
皇居東御苑のみどころ
大番所 | 松の大廊下跡 | |
富士見櫓 | 石室 | |
富士見多聞 | 展望台 | |
天守台 | 北詰橋門(出入門) | |
桃華楽堂 | 中之門跡 | |
中雀門跡 | ||
本 丸 | ||
野草の鳥 | バラ園 | |
果樹古品種園(東・西) | 桜の島 | |
竹林 | 本丸大芝生 | |
ツバキ園 | ||
汐見坂 | 白鳥濠 | |
諏訪の茶屋 | 平川門(出入門) | |
同心番所 | 百人番所 | |
二の丸 | 二の丸雑木林 | 新雑木林 |
梅林坂 | 菖蒲田 | |
二の丸庭園 | 都道府県の木 | |
三の丸 | 三ノ丸尚蔵館 | 大手門(出入口) |
石 室
この場所は江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室の用途は諸説ありますが、火事などの非常の際に、大奥用の稠度などの避難場所と考えられています。
ツツジ科
アカボシシャクナゲ
ツツジ科
ヒカゲツツジ
松の大廊下跡
江戸城本丸には広大な御殿があり、この場所は「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年)があった場所です。
事件を下敷きにして、「仮名手本忠臣蔵」をはじめ多くの舞台芸能、文学作品、映画、テレビドラマが生まれています。
「松の廊下襖絵図」より(東京国立博物館蔵)
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」舞台詞給より (国立劇場□)
ワリング バラ科
カガハンザイライ
加賀藩在来
バラ科
コウサカリンゴ
高坂リンゴ
バラ科
リンキ
バラ科
リンキ
ワリング バラ科
カガハンザイライ
加賀藩在来
ワリング バラ科
カガハンザイライ
加賀藩在来
果樹古品種園(西)
ここには、かつて食用として栽培されていた古い品種の果樹が植えられています。江戸城の跡に江戸時代の果樹の品種を植え、入園者が楽しめるようにとの天皇陛下のお考えから古い品種の果樹をつくることになりました。
西側にはワリンゴ3品種、カキ5品種が植えられています。そのうち、「高坂リンゴ」、「リンキ」のワリンゴ2品種と「豊岡」、「四溝」のカキ2品種を天皇皇后両陛下が平成21年(2009)3月にお手植えになりました。
カキ(カキノキ科)
① ギオンボウ 祇園坊 栽培地:広島県 実 :橙黄色、縦長、縦断面くさび形、 横断面方形、側面に溝 味 :完全渋柿。古くから干柿に利用。 結実期:11月 | ② ヨツミゾ 四溝 栽培地:静岡県東部 実 :橙色、縦長、縦断面くさび形、 横断面方向、側面に溝 味 :完全渋柿。炭酸ガスで渋みを 抜いて食用にでき、甘みが高い。 干柿としても利用。 結実期 :9月 | ③ ゼンジマル 禅寺丸 栽培地 :神奈川県 実 :紅橙色、 縦断面・横断面ともに円形 不完全甘柿。種子周りに褐班が 生じ、渋みが無くなる。 結実期 :11月 | ④ ドウジョウハチヤ 堂上蜂屋 栽培地 :岐阜県 実 :橙黄色、縦長、横断面方円形 味 :完全渋柿。古くから干柿に利用。 結実期 :11月 | ⑤ トヨカ 豊岡 栽培地 :京都府南部 実 :橙色、縦長、縦断面卵形、 横断面方円形 味 :不完全甘柿。種子周りに褐班が 生じ、渋みが無くなり、甘味 高い。 結実期 :11月 |
ワリンゴ(バラ科)
⑥ リンキ 栽培地 :青森県津軽地方 実 :赤色、扁円形 味 :甘酢っぱい、渋みあり 結実期 :9月 | ⑦ コウサカリンゴ 高坂リンゴ 栽培地 :長野県北部 実 :赤色、扁円形 味 :甘酸っぱい、渋みあり 結実期 :8月 | ⑧ カガハンザイライ 加賀藩在来 栽培地 :石川県加賀地方 実 :赤色、扁円形 味 :甘酢っぱい、渋みあり 結実期 :8月 |
バラ科ナシ属
ロクガツナシ
六月梨
ミカン科
クネンポ
九年母
スイカズラ科
オトコヨウゾメ
百 人 番 所
江戸城本丸への道を厳重に守る大手三之門に向き合って設けられた警備詰所です。
甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という。4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は、20人の与力と、100人の同心で構成されていました。
ご即位30年・ご成婚60年記念特別展
御製・御歌でたどる両陛下の30年
平成31年2月2日(土)~4月21日(日)
大手門 鯱
枡形内に渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されています。
刻印に「明暦三丁酉」(丁酉=ひのととり)とあり、1657(明暦3)年の明暦の大火(振袖火事)で焼失した後、1659(万治2)年に大手門が再建されたときのものと推定できます。昭和20年の空襲で門は焼け落ちましたが、鯱だけが現存しているのです。
出典:東京とりっぷ
大 手 門
大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっています。大きい方の門は、昭和20年(1945年)4月の空襲で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後に、江戸城再建時に製作されたものと考えられます。
千代田区立スポーツセンター
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