新倉・下新倉のお寺をめぐる
カルチャーコース
自然を感じながら、市内のお寺や文化財
をめぐって和光の歴史に触れてみませんか。
Atomionumbe”113 Nihonium
ニホニウム(英: nihonium)は、原子番号113の元素。元素記号はNh。超ウラン元素では比較的長寿命とされ、278Nhの平均寿命は2ミリ秒であることがわかっている[1]。これは日本人のグループ、森田グループが発見した元素である。新元素を発見、また命名したのは日本であり、アジア初となる。2020年現在、周期表に正式追加された最新の元素の1つである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
理化学研究所
国立研究開発法人理化学研究所(英: Institute of Physical and Chemical Research、略称:RIKEN)は、日本の埼玉県和光市に本部を持つ国立研究開発法人。
日本語略称は「理研」。アジア最初の基礎科学総合研究所として、1917年に設立された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
来園者の皆さんへ
~新型コロナウイルス感染防止4つのお願い~
①万が一、感染者が民家園に来演されたことが分かった場合、保健所への情報提供のために、「氏名・住所・連絡先」の記帳をお願いします。
(個人情報は、他の目的には一切使用しません。)
②あらかじめ検温を行い、マスクの着用、手指の消毒をしてください。
③人と人との間隔は、できるだけ2m(最低1m)空けてください。
④飲食は行わないようにしてください。
(熱中症予防や体調管理のための水分補給は除く)
来園者の皆さまの安全とスタッフの安全を確保して、楽しく過ごしていただくため、皆様のご理解とご協力をお願いします。
出典:和光市教育委員会
和光市古民家愛好会
8月6日(木)10時から 定員10名 小学生以上
マコモ馬作り募集
ご家族の息災と幸せを願って七夕の日に飾ります。
受付 7月2日(木)9時から電話又は窓口まで
景観重要建造物指定標識
指定番号 | 和光市指定第1号 |
指定年月日 | 平成26年1月1日 |
名 所 | 新倉ふるさと民家園 |
この標識は、景観法第21条第2項の規定により設置するものです。
新倉ふるさと民家園
和光市指定文化財(建造物)
旧冨岡家住宅
場 所 和光市下新倉2丁目33番1号
敷地面積 2000㎡
園内建物 主屋(和光市指定文化財 旧冨岡住宅)1棟
納屋風管理棟1棟 物置1棟 蔵風ポンプ室1棟
井戸小屋1棟 潜り門1棟
着 工 平成17年2月25日
竣 工 平成18年3月24日
指 定 平成15年11月3日
大きさ 桁行 9間1尺×梁間 5間(16.66×9.12m)
床面積 45坪(151・98㎡)
構 造 木造茅葺寄棟平屋建て
旧所在地 和光市新倉2丁目3179番地
**利用案内**
◎火気厳禁
◎ペット持ち込み不可
開園時間 午前9時~午後5時(4月~9月)
(10月~3月は午後4時半まで)
休園日 毎週水曜日
毎月第4木曜日・第4金曜日
年末年始(12月28日~1月4日)
昭和63年(1988)7月、東京外郭環状道路建設に伴い、旧冨岡家住宅は解体され、同年9月に冨岡氏から和光市へ解体部材一式が寄付された。
和光市教育委員会では、建造物調査と部材調査を行い、その結果から旧冨岡家住宅の創建時期は17世紀後期(江戸中期)と推定され、埼玉県内では最古の部類にはいる。
主な特徴は、床の間がないこと、ザシキは三間四方の九間づくりであり、祭壇が奥行きの浅い押し板であること、外壁に戸口が少ないこと、また土間柱などの柱を内部に多く建てるなど素朴な造りで、蛤刃の手斧痕が残る柱があることなどがあげられる。
関東の同時期の農家としては、最大規模を持ち、大きさと相まって歴史的価値が非常に高く貴重な建造物である。
平成18年3月24日
出典:和光市教育委員会
和光市文化財保護委員会
金 泉 寺
筆塚とは江戸時代に寺子あるいは塾を開業した師匠(先生)の墓を、弟子または塾生が供養のため建立した碑で、筆子中・筆徒中・筆塚等の文字が刻まれているものは、これに類するものである。
この碑は当寺の住職武笠台岡師(1810-1878)のもので、その弟子たちが報恩感謝の念をもって建立したものである。
碑には師匠が次のようなことを述べている。
病に伏して久しく、まもなく命も終わるであろう。
自分の石塔を建てなければと考えていたとき、筆徒二百余名が浄財をあつめて、この碑を建てて私をよろこばしてくれたと。
そして自ら碑文を撰び、寿塔として、生前に建立されたものである。
師は上新倉村、下新倉村を中心とした有志の少年たちを集め、寺を解放して、読み・書き・算数を無報酬で教えたものである。
出典:和光市教育委員会・和光市文化財保護委員会
名称 筆塚(ふでづか) 金泉禅寺
筆塚とは江戸時代に寺子屋あるいは塾を開業した師匠(先生)の墓を、弟子または塾生が供養のため建立した碑で、筆子中・筆徒中・筆塚等の文字が刻されているものは、これに類するものである。
この碑は当寺の住職武笠台岡師(1810年~1878年)のもので、その弟子たちが報恩感謝の念をもって建立したものである。
碑には師匠が次のようなことを述べている。
病に伏して久しく、まもなく命も終わるであろう。
自分の石塔を建てなければと考えていたとき、筆徒二百余名が浄財をあつめて、この碑を建てて私をよろこばしてくれたと。
そして自ら碑文を撰び、寿塔として、生前に造立されたものである。
師は上新倉村、下新倉村を中心として有志の少年たちを集め、寺を解放して、読み・書き・算数を無報酬で教えたものである。
昭和54年6月15日
出典:和光市教育委員会
和光市文化財保護委員会
満願寺
(上新倉村)満願寺
牛蒡山の下にあり、小門をかまへ蕭々たる寺院なり、是も新義真言宗、三宝寺の末なり、萬政山と号す、客殿は二間四方、庫裡と一棟に作り、本尊は聖観音の古佛真の九重座なり、開山詳かならざれど、此寺の過去帳に、住持定尊法印天正廿年癸未11月朔日寂とあり、此法印の開山にや、いづれにも古き寺院なるべし。(新編武蔵風土記稿より)
出典:猫の足あと
壱鑑寺
(下新倉村)壱鑑寺
是も金泉寺の近邊にあり、曹洞宗、近江国普化腹松寺末なり、薹月山と号す、開山は嶺室雪大和尚、開基は酒井壱岐守忠重なり、寺僧の傳に云、此寺もと川越領酒井家采邑の中にありしを、寛永年中領地を移されし時、当寺も今の地へ移すと云、斯説によれば川越にて忠重開基をなし、造立は寛永の初めなるべし、嶺室和尚は慶安三年遷化、それより第三世是心作大和尚中興す、この和尚は延宝五年寂、本堂六間四面、本尊釈迦如来を安置す。
位牌堂。本堂の後にあり、惣塗籠なり。
鐘楼、門を入り左にあり、高さ四尺、元禄中の銘あり、(銘文省略)
酒井壱岐守忠重墓。本堂の右高き所にあり、五輪の石塔、表に松厳院殿薹月一鑑大居士、慶安元子年六月念日と刻せり、忠重は備後守忠利が第三の子、始め内記台徳院殿に仕へ、本郡入間郡の中にて五百石を賜れり、寛永4年12月2日、父忠利が所領川越にて二千石を分ち下され、壱岐守に任せりと云ふ。
(新編武蔵風土記稿より)
出典:猫の足あと
市指定天然記念物
名 称 大いちょう
指 定 昭和34年7月13日
所有者 長 照 寺
イチョウ科 落葉 高木
幹廻り7.5m 樹高約29m
樹齢推定7百年(指定当時)
和光音頭の一節に「ハアー空を抱えたあの大銀杏、雨やあらしに堪えてきた……」と唄われている。この大いちょうは、枝張り根張りともによく、根の先は、坂下公民館あたりまで達しており、樹乳
もみごとである。以前は、その樹乳を煎じて飲むと乳がよくでるといわれ、地元の人達が服用したとのことである。県内でも有数の大木で秋の黄葉の時期は黄金色で覆われ、まことに雄大かつ美事な景観である。また、300㌔を超える量の銀杏を実らせる。700年というのは、鎌倉時代にあたりそれ以来現在まで新倉はもとより近郷の人々の生活や歴史を見つめつづけてきた生き証人と言えよう。
昭和54年1月15日
出典:和光市教育委員会
和光市文化財保護委員会
長 照 寺
(上新倉村)長照寺
境内一丁四方、年貢地、其中二反歩許、見捨地、小名添代にあり、新義真言宗、豊島郡石神井村三宝寺の末、本堂六間に九間、光明山観音院と云、本尊は十一面観音、開山開基詳かならざれど、墓所に寛永中の碑あれば、其以前の草創なるべし、宝暦七年法流開山の時より色衣の寺格になりしと云。(新編武蔵風土記稿より)
出典:猫の足あと
東林寺
(上新倉村)東林寺
峯にあり、是も三宝寺の末なり、医王山と云、本堂五間に六間、本尊薬師如来弘法大師の作を安ず、小名峯にある故峯の薬師如来と云、墓所は当寺の東の方半町許を隔てり、其側に二間四方程の小庵をかまへ、大日如来を安す、当寺の持なるよし、是は墓所をまもるために建し庵なりや、当寺の開山等詳かならざれども、石碑に元禄八乙亥天九月などえりたるもあれば、元禄前の開基なるべし。
稲荷天神合社。堂に向ひ左傍にあり、前に鳥居を建つ。(新編武蔵風土記稿より)
出典:猫の足あと
力 石
力石は、江戸時代から明治にかけて、若者たちが力だめしに持ち上げたもので、力があることは若者たちの自慢の種でありました。
力石を、持ち上げることができた人が記念に奉納しました。
58貫(2百17.5㎏)と刻まれています。
柿ノ木坂児童公園
市の花 〔さつき〕 つつじ科ツツジ属 | 市の花 〔いちょう〕 いちょう科イチョウ属 |
本州以南に分布。渓流で砂地の所を好み乾燥地にははえない常緑低木。幹は多く高さ0.3~1mの枝が横に広がる半円形の樹姿。葉は皮針形、花は枝先に単生し、ろうと状で紫紅色の5裂した花を咲かせ、花期は5~7月。 (昭和55年10月31日制定) | 中国原産。日本各地に分布。落葉樹高木。盆栽、食用、用材、幹高30~40m、径約5m、直立、整形樹、全株無毛、葉は長枝、互生し、短枝では束生、長柄。葉身は扁形。秋に黄葉する。雌雄異株。花は4月、種子は10月成熟。 (昭和55年10月31日制定) |
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