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富士山すそ野ぐるり一周
2/17
忍野八海~山中湖
談合坂SA下り
概要
中央自動車道の高井戸側からみて最初のサービスエリアである。上下線で約2km位置が異なり、両施設共に中央道の下り線側に設置されている。上り線SAが小牧寄り(上野原市大野)、下り線SAが高井戸寄り(上野原市野田尻)にある。
開設当時は、上下線共に同じ位置にあり、上り線の施設はハイウェイショップ、スナックコーナー、トイレのパーキングエリア並みのものに加えて給油所というものであったが、設置されていた歩道橋を介して上下線の行き来が可能であった。1992年(平成4年)4月、混雑の緩和(特にレストランは上下線で共用であったため、平日でも常に込み合う状況であった)のために、下り線SAを2km高井戸寄りの現在地に移設。旧下り線SAは、上り線SAの拡張用地となった。それに伴い、上記の通り現在では施設が離れている。下り線の施設にはレストランがない。
下り線SAは、野田尻バスストップを併設している。
ソース: 談合坂サービスエリア – https://ja.wikipedia.org
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一番霊場 祭神 難陀吉竜王
国指定天然記念物
■昭和9年(1934年)5月1日指定
■南都留郡忍野村忍草266の3
富士山世界文化遺産 構成13
忍野八海 出口池
天つちの
ひらけるときに
うごきなき
御山の水の
出口と(た)ふとし
忍野八海の中でこの池だけが離れた場所にあり、他の池が北斗七星を表すのに対し、北極星を意味しているとされています。
溶岩魂の下より湧水があり桂川の水源の一つとなっています。
出典:忍野村
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山中湖花の都公園
標高1000mの高原にある広大な植物園。季節ごとに花が咲き変わる花畑エリアは無料。有料エリアには、水車、滝、温室などを備える。
出典:花の都公園
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山中湖 花の都公園 清流の里
富士山を背景に季節の花畑が広がる公園。園内には水遊具広場や雄大な滝、三連大水車の他、溶岩樹型の体験ゾーンがある。食事処と売店併設。
出典:花の都公園
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山中諏訪神社
豊玉姫命を祭神として、安産や子授けにご利益があると信仰される神社。毎年9月4~6日に境内で安産祭りという例祭が行われる。
出典:山中諏訪神社
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山中明神 安 産 祭
「安産祭」は9月4日から6日にかけて行われる山中諏訪神社の例大祭です。
諏訪神社は山中明神とも呼ばれ、古くから安産、子授けの社として全国に知られてきました。また妊娠が神輿を担ぐところから「孕み祭」、「はらぽて祭」とも呼ばれております。
祭神は豊玉姫命です。豊玉姫命は、海神・豊玉彦神の御娘で、出産の折、産屋の屋根も葺き終わらないうちに鵜葺屋葺不合命(神武天皇の御父)を御出産したという神話に基づき、安産の守護神として崇められてきました。
お祭りの朝には奥宮のある明神峠にむら雲が湧き、豊玉姫命が白龍に乗って湖水を渡る「神渡り」があると言い伝えられております。
民俗、伝統を今に伝えるこの夜祭は、氏子を始めとし私たちすべての子授け、安産えの祈りに支えられています。
神輿は四日にお旅所まで渡御し、翌五日本宮にお戻りになられますが、神輿が本殿に納まる前には神輿を先頭に大勢の人が数珠つなきになって
諏訪の宮 みかげさす
右龍がいにも 左龍がいにも
もそろ げに もそろ
と、「諏訪の宮」の御神歌を唱えながら、ご神木の周りを三回廻ります。
この時、子授け、安産を願い、又嬰児を背負って健やかな成長をと願うお礼参りの女性達は、皆、足袋銑正装姿で競って神輿に縋りつきます。神輿に触れることで神様に近づき、ご利益が約束されるということです。
このような情景は他の祭りでは見られないため、奇祭として全国に知られ、多くの参拝者が訪れます。
また、お旅所では、氏子の女性たちが「お籠り」をして、お灯明を絶対やさないようにします。
その蝋燭は参詣者にお守りとして配らております。
山中浅間神社
御祭神
木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵尊、大山祇命
由緒
山中浅間神社は、承平元年(931)に社殿を造営し、木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵尊、大山祇命の三柱の神を奉ったのが創建です。
江戸時代に入り、寛政4年(1792)12月20日に日本殿、雨屋、拝殿を再建し、石灯篭の建立をなしました。しかし、大正8年(1919)に火災により全社殿を焼失しますが、大正12年(1923)に再建され、翌年には手水舎・神輿殿が新築されました。昭和47年(1972)には社殿が鉄筋コンクリート屋根銅板葺の荘厳な建築に改められ、手水舎・神輿殿も再建されました。
山中湖村の氏神社として崇敬を集め、5月5日に例祭が執り行われています。社殿向かって左手に鎮座するのは山之神社。境内から宮之森橋を東に進むと山中諏訪神社です。
出典:なかいま企画
双体道租神と愛宕地藏
一体のお地蔵様は火伏せの神、愛宕地藏です。
江戸時代の中期の愛宕山の修験者により愛宕地藏信仰が全国に広められた時期に、この愛宕地藏も作られたと考えられていますが、正確な建立年代は不明です。
この地域では小正月に5カ所でどんど焼きが行
われ地域の人々の健康を祈願しています。
男女一組の道租神は1760年(宝暦10年)
の建立です。道租神は村の守り神であり、子孫
の繁栄をもたらす神として、また、道を行き来
する旅人を守る神として信仰されてきました。
今は山中小学校の入口にあって子供たちを見守ってくれています。
出かけませんか。ぶらり裏みち散策。
馬 頭 観 音 像
山中区内には多くの馬頭観音が見られ、ここにも
鎌倉往還沿いや屋敷内にあった多くの石造物が集めら祀られています。
山中区を貫く道は古くから駿河と甲州街道を結ぶ、物資輸送の幹線道路となっており荷馬車(馬力)や荷駄(ダバ)を背負って行きかい、山中集落は荷駄を運ぶ中継地として、当時の住民・多くの女性が駄賃稼ぎ(運送)に従事していました。
馬は荷駄運びや山仕事に使われ、生活の糧として家の中に馬屋を設け大切に飼育されていました。
(一軒に二頭以上もの馬が飼育されていた時代もありました。)
愛馬を慰霊する馬頭観音は街道跡の面影を残し、龍坂峠を越え静岡方面に下る道を走ると当時の荷馬や人々の苦労がしのばれます。
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