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6月度川越わくわくウオーキング教室 NPO法人埼玉ウオーキング協会
川越公園ウオークⅡ
・大塚新町公園
・尚美学園大学
-高圧線を目印に-
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「源頼朝の山車」の由来
源頼朝の山車
・川越市歴史文化伝承山車登録
第四号 平成15年7月17日
・山車製作者 宮澤敬次郎(大袋新田)
・築造年月 明治28年7月
・人形制作者 作者不詳
明治初期、当地の中年の人達が王蔵流祭り囃子を
取得し、村の鎮守の発礼時に祭囃子を奏上したことが、山車創設の契機となり明治10年、当地の篤志家(牛窪家)資材で屋台を組み上げ、祭礼時に地域の安泰を願って祭囃子の太鼓の音を響かせながら屋台を曳き廻したことに始まる。
明治22年に宮大工、宮澤敬次郎氏により四ッ車二重鉾、囃子舞台に山車人形「源頼朝」を乗せ、山車の原型が出来上がった。当時の詳細記録が消失しているため、公式築造年月は明治28年7月の第一次改造の記述をもって築造年月としている。
以来改造改修を重ね、現在に至っている。
大塚新田氏子会
大塚新田自治会
大塚新田囃子会
付記 改造大工
貫井 豊之助(大袋新田)
高山 栄 治(旭町三丁目)
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